中鉢知子さん

 

企業内研究者とそれを目指す理工学系生に捧げる『企業研究者のための人生設計ガイド』が、講談社ブルーバックスより発売開始されました。

この本の第3章「企業研究者インタビュー」は、グローバル企業で世界的な活躍をしている女性研究者の本音をたっぷり聞き出していて、全リケジョ必読の内容。今回は特別に、ノヴァン株式会社(米国ノースカロライナ州)のバイスプレジデントにして、医師の資格を有する中鉢知子さんへのインタビューを全文紹介します!

 

女性への風当たりが強かった「日本の医学部」

──まず、略歴について教えてください。

私は大阪大学医学部を卒業した後、同じ大学の付属病院で皮膚科の研修を1年してから、医学部大学院博士課程の学生兼研修医として皮膚癌の研究をしていました。

院生の時に、参加したとある国際学会にいらっしゃったボストン大学のBarbara Gilchrest先生に「ぜひあなたのところで研究がしたい」と申し出たところ幸いにして受け入れてもらえたので、博士課程の途中で渡米したのです。

ボストン大学 Photo by iStock


 

──すごい決断ですね。博士になった後も日本の大学で研究に邁進する……ということはお考えにならなかったのですか?

当時の日本の医学部は女性がキャリアを積むことがとても難しい環境でした。大学院を修了した他の男性医師が徐々に助手(現在の「助教」職)のポジションを得ていく中で、私はボストンで2年半のポスドクを経験した後でさえ、「お金を出してくれたら研究生として大学で働かせてあげてもいいよ」などと言われる始末です。

給料をもらうどころかお金を払わないと働けないなんて到底受け入れることができませんでした。

──それはちょっとひどいですね。結局どうされたのですか?

結局、日本に帰国した後は半年ほど研究生をして、さらに1年間厚生年金病院で勤務医として働いてお金を貯めた後、今度はカナダに渡って「シニアポスドク」としてアルバータ大学に在籍しました。

アルバータ大学 Photo by Wikipedia


 

ここで一研究者としてマウスを使った皮膚癌の研究に取り組んだのですが、研究室の教授の信頼を勝ち得て研究室のマネジメントをさせていただくことができました。複数の研究者とチームで働くことを学ぶきっかけにもなりました。この時の経験は企業に就職した後でとても役に立ったと思います。

「医師の資格を持つ会社員」として外資系企業で働く

──アルバータでのポスドクの後、会社員となられたのですね。

北米の大学に残って基礎研究を続けるということも考えて、実際に大学のポジションのオファーもいただいたのですが、どうしても給与の面で厳しくて……。せっかく医師免許を持っていてチームマネジメントの経験もあるのだから別の可能性もあるのではないかと考えていました。

そこに日本のリクルーターから「日本にある製薬会社が『医師の資格を持っていて博士号を持ち英語が堪能な人を探している』と言っている」という連絡をいただいたので面接の上、採用していただきました。ファイザー株式会社の東京本社です。

ファイザー株式会社東京本社 Photo by Getty Images

 

──日本では医師の資格を持つ人の多くが開業医になるという印象を持っていたのですが……。

欧米では医師免許を持つ人が製薬会社で働くということは珍しいことではないのですが、日本ではまだとても少ないですね。いたとしても多くがメディカルアフェアーズ部門や安全性評価部門など医学知識が直接役立つ職種がほとんどで、新薬の開発職ではあまり見かけません。これに対して欧米では開発職でも医師の資格を持つ人がたくさんいますよ。

──「医薬品の開発職」というと、新薬候補品の臨床試験を企画・実施する仕事ですね。製薬会社での研究開発というと実験室でフラスコを振っているイメージしか湧かない方も多いと思いますので、「開発職」について少し詳しく教えてください。

Photo by iStock

 

新薬候補品の開発にあたっては、実際に患者を診る医師と製薬会社が共同で臨床試験を実施します。

この際、試験デザインを考え、実施計画書(プロトコル)を書き起こし、社内外の必要な承認をいただいた上で病院の医師の皆さんに実施していただくのが臨床開発担当者(クリニカルリード)の仕事になります。また、実施した試験の結果が良好であれば新薬として国に申請を行いますので、当局の担当の方々に対して臨床試験のデータの説明なども行います。

──ファイザーの東京本社ではどういう開発に関わられたのですか?

骨粗鬆症の新薬開発に取り組みました。日本が参加する国際共同試験の企画実施にくわえて、日本人を含むアジア人の至適用量を決める日本・韓国・台湾の共同試験もやったのですが、残念なことに世に出すことができませんでした。

再渡米してグリーンカードを取得

──この後、アメリカのファイザーで働くことになったとうかがいました。きっかけについて教えてください。

東京本社では臨床試験の実施だけでなく社外での業界活動などにも関わることができて、充実していて学ぶことも多かったのですが、すべてのプロジェクトがアメリカ主導で行われているのでアメリカで実施済みもしくは計画中の臨床試験デザインを日本で実施できるようにするというものばかりでした。

私は自分で試験デザインを一から考え、実施する仕事がしてみたかったのです。そんな時にアメリカのラホヤ研究所に出向する形でクリニカルリードをするという機会をいただき、再度渡米することにした次第です。鎌谷さんがサンドイッチに引っ越しされた後(2006年10月)でしたよ。

──入れ違いだったんですね。それは残念です。

そうですね。でも受け入れてくださったラホヤの方々にはとてもよくしていただいて、6ヵ月間の出向期間が終了した後は「転籍」の形でラホヤ研究所所属の社員として仕事を続けさせてもらうことができるようになりました。

それだけでなく、「就労ビザだと将来どうなるかわからないから」とアメリカの永住権(グリーンカード)取得のサポートまでしてくださったんですよ。

Photo by iStock

 

──ラホヤではどんなプログラムに関わられたのですか?

本当は自分の専門である皮膚科領域での仕事ができたらよかったのですが、ラホヤでいただいた仕事は眼科領域の開発プログラムでした。

緑内障治療薬としてすでに発売済みの点眼薬について、ヨーロッパ当局の要請に応える形で小児の適応をとるための臨床試験を企画・実施することになったのです。

Photo by iStock

 

──それは重要なお仕事ですね。大変だったのではないですか?

はい、私にとって初めての「グローバル・クリニカルリード」としての仕事だったので、次に何が起こるかわからないという中でがむしゃらに働きました。しかも眼科領域は社内リソースが少なくて、とくに申請の時なんか椅子に座って仕事のし通しだったせいで腰を痛めてしまいました。

小児の緑内障は先天的なものが多くて、アメリカなどの先進国では手術で治療するのが一般的なので臨床試験に参加していただける患者さんを集めることができませんでした。それでウクライナやフィリピンなど世界40ヵ国以上で実施する必要があったのであちこち飛び回ることになったんですよ。

──すごい……想像するだけでもプロジェクトを牽引する緊張感が伝わってきます。

はい、それだけに臨床試験が無事終了し当局から承認をいただいた時は本当に嬉しかったですね。

この前にも骨粗鬆症も含めていろいろな仕事に関わりましたし、このプロジェクトの後は念願かなって皮膚科領域のプログラムも担当させてもらったのですが、今振り返ってみて何が一番嬉しかったかと問われればやはり「緑内障治療薬の小児適応承認取得」と答えますね。キャリアの幅が広がるきっかけになったわけですし。

──やっぱり、最初の成功体験はとても印象に残りますし、思い入れも大きいことと思います。さて、アメリカでの仕事は日本とはやはり違いましたか?

アメリカやヨーロッパの主要国においてそうなのですが、臨床試験の立案・実施にあたってはその疾患の世界的権威の先生方が「共同研究者」として参画してくれるところが日本と大きく違います。

日本で臨床試験を実施する際はとくに、その領域の専門家の先生方はみな「アドバイザー」として私たちより一段高い扱いがなされていて、相談したいことがあっても営業担当者を通してアポをとるような形になってしまうのですが、アメリカを含めた諸外国ではそんな煩雑な手続きは必要なく、専門家契約した後は電話などで気軽に話すことができます。

何より、私も医師の資格を持っているので、「この人は開発のエキスパートの医師である」と認めてくれて対等の立場で話してくださるのがいいですね。私が治験の説明のために病院を訪れると院内の見学までさせてもらえることもありました。

医学研究者との付き合い方が日米では違う

──なるほど、医師の資格を持つ人が企業で臨床開発に関わるのは大きなメリットがあることがよくわかりました。ひるがえって日本ではなぜ医学部出身の人が製薬会社で開発に関わらないのか、とても不思議です。

これは日本に限ったことではないのですが、そもそも医師の皆さんは「医療の専門家」としてトレーニングを受けているためにチームワークで仕事をすることに慣れていません。

医師はチームワークに慣れていない Photo by iStock

 

臨床試験は医者が一人いれば実施できるものではなく薬事や統計の専門家を含めて多くの方々が関わる仕事なのですから、リーダーとしてチームをまとめるだけでなく、わからないことがあればその分野の担当者に聞きに行くような「学ぶ姿勢」がないと務まらないのですが、これができない医者が多いのだと思います。臨床試験の企画・実施にあたってのルールを記載した社内SOP(手順書)の遵守が求められるのも苦手なようですね。

これにくわえて、日本特有の事情としては「製薬会社と共同で研究する」ということに馴染みがないということもあると思います。

日本の医師にとっては製薬会社との関わりといえばもっぱら営業担当者を通してのみですし、そもそも私が学生時代の医学部の教育カリキュラムには「臨床開発」がありませんでした。こんな状態ですので医者として得た知識がそのまま医薬品の開発に使えるというわけではないのですね。

今の医学部でのカリキュラムはどうなっているかよく知らないのですが、授業の一環として「ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン」など一流の英字論文誌を読み込んで臨床試験のことを勉強する機会があってもいいのではないかと思っています。

ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン Photo by Getty Images

 

──日本で仕事をする身として何とも耳の痛い話です。逆に日本の方がいいと思うところはありますか?

データの信頼性を含めた臨床試験全体のクオリティですね。とにかくデータがきれいです。もっともクオリティを追求しすぎるあまりに開発にお金がかかりすぎるという欠点もありますが。あとタイムラインの重視。

──鎌谷が専門の原薬製造でもそうなのですが、やはり納期を必ず守るのは日本人の美点ですか?

そうそう。東京で仕事をしていた折、統計担当の方に「この日までにレポートをください」とお願いしたらその日の午後11時57分に送ってきてくれたことがありました。私も会社でそれを待っていました。アメリカでは考えられないです(爆笑)。

医薬品業界のベンチャーで働く

──ところで、アメリカの大手製薬会社に勤められた後、今はベンチャー企業で働いておられると聞き、驚きました。

従業員約40人の会社で、現在は皮膚疾患のための塗り薬を開発しています。人員の半分以上は薬の製造方法を研究している人たちで、臨床開発に携わっているのは10人くらいです。

私はその責任者ですが実施計画書はほとんど自分で書き、臨床試験の実施を専門とする外部業者(CRO)を使って臨床試験を行っています。

──大手の製薬会社との違いは何ですか?

何といってもスピード感ですね。計画書を自分で書いて自分で実行するのですから(笑)。とはいえ医薬品開発にフォーカスしたベンチャーですから開発資金は限られているので、いずれは大手の製薬会社に導出することで次の候補品の開発をする資金を得ることになると思います。あと株式も上場しているので投資家に株を買っていただくための信頼関係の構築も大切ですね。

──なんだか、とても夢のある話ですよね。

もともと大学発のベンチャーとして誕生した会社なので本当にわくわくしますよね。アメリカの公的機関にも研究費の申請をしていますし。

──ベンチャー企業って、IT分野のような若い人たちの集まりのようなものを想像していたのですが……。

少なくとも医薬品業界における新薬開発のベンチャーは若い人にはできません。大手製薬会社を渡り歩いて経験を積み、治験の実施計画書も自分で書くことができ、各国の規制要件にも通暁した百戦錬磨のプロでないと臨床開発を行うのは無理ですね。

──なんだか、毎日が緊張の連続で大変のように思えます。余暇はどう過ごされていますか?

ヨガとハイキングですね。今はノースカロライナ州に住んでいるのですが、これまで住んでいたところより自然が豊かでハイキングには絶好のエリアです。

Photo by iStock

 

ここに住むことになって本当によかったです。生活しやすいし、アメリカのカルチャーが気に入っています。リタイア後もあそこに住み続けたいと思っています。

──え、そうなんですか? 日本ではもう働きたくない?

日本に遊びに来るのはOKなんですが、また日本で働くということは今は考えていません。それくらい、アメリカでの仕事と生活が気に入っています。

日本の医師だって海外で活躍できる

──アメリカで仕事をする日本人としてハンディを感じられたことはありますか?

英語をしゃべること自体にはあまり不自由は感じません。上手な英語でしゃべろうというこだわりはなくて、ブロークンでもとにかく伝わればいいと思っています。

ただ聞き取る方は北米の英語と日本訛こそOKなのですが、インドやフランスの人たちの英語はわからなくて苦労しています。

もちろん言葉だけでなく、文化的な違いも克服する必要があります。国が違えば「常識」も異なりますから、とかく遠慮しがちな日本人のままでいると「あなたはあまりにも人がよすぎる」と言われてしまいますね。

私はアメリカとカナダで合計五年間ポスドクをしていたおかげで、遠慮せずノーと言うことができるようになりました。

──日本の大学を出ただけでは、外国人と対等に渡り合うことは難しいのでしょうか。

日本の医学部で学んだだけだと言葉の壁を克服するのは難しいかもしれません。中国や韓国では教科書も英語を使っているようですが、日本ではそもそも先生が英語を話せませんからね。でも日本人の医学部の学生さんの中には、欧米の医学部卒業資格を取得して現地の医師免許を取るような人も出てきているみたいですよ。

──そうなんですか、すごく意欲的ですね。

私は日本の医師がもっと海外で活躍して欲しいと思っているのです。日本の医師免許では海外の患者さんを診察することこそできませんが、製薬会社に入ればどの国の免許であろうと「医師」として接してくれますし、治験に参加する世界各国の医者の皆さんも対等に接してくれます。

一人でも多くの日本人の医師の方に製薬会社での医薬品開発に興味を持ってもらい、この分野で世界を舞台に活躍してくださることが私の願いです。

企業内研究者