あなたは「医師」と聞いて、どんな姿を思い浮かべるでしょう。病院で患者さんと向き合う臨床医? それとも研究室で顕微鏡をのぞきこむ研究医?
そんなふうに、わたしたちは臨床医と研究医を区別して考えがち。世間一般でいう「お医者さん」は、研究生活とは離れて、病院で患者さんの診療にあたるもの、という固定観念が広く根づいていると言っても過言ではありません。でも、そんなことはないんです!
今回、Rikejoでは、日本はもちろん、研究先進国アメリカでも珍しい「臨床医+研究者」としてキャリアを積んでいる国際医療福祉大学三田病院の向山順子さんにお話をうかがいました。
「今治療が必要な目の前の患者さん」と「現在の医療では治癒しない患者さん」、両方を救うために奮闘しているという向山さんの歩んできた道とは……!?
提供:向山さん

「臨床医+研究者」は100人に1人の「超希少種」!?

Q.今はどんなお仕事に取り込んでいるのですか?
国際医療福祉大学三田病院で、消化器外科医として検査や手術を含む消化器外科の診療に加えて、Physician Scientistとして大腸癌の基礎研究を行っています。

国際医療福祉大学は、2017年に開設した日本で一番新しい医学部で、学生7人に1人が留学生という国際色豊かな学府です。最終学年の6年生では海外の医療機関での病院実習があるので、医師として国際的に活躍をしたい人の進学先としてお勧めです。

私が専門とする消化器外科は、胃や大腸などの消化管や、肝臓や膵臓など、消化に関わる臓器の手術を専門とする診療科です。その中でも、私は近年日本で急増している大腸癌を専門にしています。

腹腔鏡手術中の向山さん(提供:向山さん)

Q.「Physician Scientist」とはなんですか?
日本語にするとPhysicianは医師、Scientistは研究者です。Physician Scientistは、医師として診療をしながら、研究者として医学研究を推進する職業です。

私の場合は、医師として胃カメラや大腸カメラといった検査、大腸癌などの消化器癌の手術といった臨床診療をしながら、大腸癌の予後改善を目指した基礎研究を行っています。

医師免許を取得後に大学院に進学し、医学博士の学位を取得する人は少なくありませんが、大半の人は臨床か研究のどちらか一つに専従するために、私のように両方に携わりつづける医師は稀です。とくに、世界的に見ても若い世代で少なく、米国医師会の調査ではPhysician Scientistは医師100人につき1人の「絶滅危惧種」と報告されています。その中でも、私は外科医で女性で子育て中ということで、絶滅危惧種の中でもかなりの希少種のようです(笑)。

日本癌学会学術集会の女性研究者シンポジウムで発表する様子(提供:向山さん)

Q.絶滅危惧種の中でも希少種……そんなPhysician Scientistを志されたのは、なぜなんですか?
消化器外科医として消化器癌の診療をする中で、右側に発症する一部の大腸癌が、その他の大腸癌と比較し根治切除後の再発率が高いことに気付きました。根治手術ができているので、他臓器への転移はなく、肉眼的に癌は取り切れている状態です。

ある患者さんには、初回の大腸癌切除、再発した肝転移巣切除、肺転移巣切除、腹膜播種による腸閉塞の手術と合計4回の手術を短期間に行いました。しかも、この患者さんは、再発予防のための術後化学療法を受けた後の再発で、最終的には初回の手術から約2年半後に亡くなりました。残念ながら、外科医の手術手技の向上だけでは、こうした患者さんに起こる再発は防げません。このような経験を重ねる中で、大腸癌の予後の改善のための基礎研究を志すようになりました。

Q.博士課程ではどのような研究をされたのですか?
癌幹細胞についての研究を行いました。癌幹細胞は、癌組織中に存在する少数の細胞集団で、自己複製能と多分化能をもつ癌の親玉のような存在です。手術で肉眼的には癌を完全にとりきれた患者さんでも、血管や臓器の中に極少数の癌幹細胞が潜伏していて、術後再発のもとになることが知られています。

癌の実験の多くは、細胞株という実験室で安定して培養できる細胞を用いて行いますが、私は実際に手術で摘出した大腸癌から分離した大腸癌幹細胞を解析して実験を進めました。

米国での研究生活、外科医としての研鑽も

Q.大学院卒業後はアメリカでご研究を続けられたそうですね。
米国ニューヨークにあるコロンビア大学に博士研究員として赴任し、大腸癌の研究を続けました。当時の私の周囲には、研究留学をした先輩医師はほぼおらず、少ない情報の中での挑戦でしたが、結果的には、日米の5つの大型助成金を獲得することができました。

コロンビア大学では、念願の術後再発が多い右側大腸癌のサブタイプである「CDX2低発現大腸癌」の研究を行いました。私は、細胞系譜という癌のもととなる細胞の種類により、発生する大腸癌の性質が異なるという仮説をもとに研究を進めています。実際に血液腫瘍では、B細胞リンパ腫やT細胞リンパ腫など、特定の細胞を起源にもつ細胞が癌化する疾患概念や、それに応じた治療法が確立されています。しかし、大腸癌を含めた固形癌では、いまだにそのような研究は進んでおらず、私は大腸癌では初となる細胞系譜に基づく最適化治療法の確立を目指して、現在も研究を続けています。

Q.アメリカでの生活はいかがでしたか?
もともと田舎が好きなので、世界的な大都市であるニューヨークのマンハッタンに住むことになるとは思っていませんでしたが、文化施設や日本食スーパーが充実しているなど都会ならではの良い部分には助けられました。また、ニューヨークには多数の研究機関があるので、そこに留学している日本人研究者との交流も良い刺激になりました。留学を縁に帰国後に共同研究を行っている人もいます。

外科医としては、ニューヨーク長老派教会病院(NewYork-Presbyterian Hospital)の移植外科チームと一緒に、日本では少ない脳死肝移植のドナー肝摘出を行う機会を得ました。プライベートジェットに乗って州外に手術をしに行くという経験は新鮮でしたし、在米中にも外科医として研鑽を積む機会を得られたことは非常にありがたかったです。

肝移植手術の移動手段のプライベートジェット(提供:向山さん)

あとは、在米中に出産をして家族が増えました。当時のニューヨークはCOVID19感染拡大による被害が甚大で、病院で収容ができない遺体が公園の仮設テントに運び込まれる状況でした。街はロックダウンされ、研究室も閉鎖になり、かなり特殊な環境での子育てでしたが、家族で協力をして乗り越えました。

COVID19によるニューヨークのロックダウンで外出ができず、窓際で日光浴(提供:向山さん)

Q.Physician Scientistを目指す人へのメッセージはありますか?
臨床診療と医学研究は車の両輪のようなもので、良い医療はその上に成り立ちます。Physician Scientistは、この両輪の橋渡しをする存在です。医療が高度専門化する中で、一人の人間が両方に携わるのは大変ですが、臨床応用に向けたトランスレーショナルリサーチの展開には、臨床にも軸をおいた医学研究者の存在が不可欠です。

絶滅危惧種と言われると、将来の職業としては心配になる人もいるかもしれませんが、専門性の高い知識と技術を駆使して、今、治療が必要な目の前の患者さんと、現在の医療では治癒しえない患者さんの両方を救える可能性をもつやり甲斐のある仕事です。

また、外科医と研究者はかけ離れた仕事のように見えるかもしれませんが、物事を深く観察する点など共通点があり、自分の中で良い相互作用が生じている感覚があります。これからも、Physician scientistとして臨床と研究を推進し、大腸癌診療の進歩に貢献することが私の人生の目標です。