※この記事は『化学技術者・研究者になるには』(堀川晃菜 著 ぺりかん社)からの転載です。

東ソー株式会社 牧野 友理子さん(米国出張で立ち寄ったゴールデン・ゲート・ブリッジにて)

身近ではなかった「研究者」

今、研究者として活躍している人が、はじめからみんな研究者をめざしていたとは限りません。
総合化学メーカーである東ソー株式会社のライフサイエンス研究所で働く牧野友理子さんも、就職活動の直前まで、将来は先生になろうと考えていました。

「小学生のころから先生に対するあこがれがありました。中学校では理系科目が得意で、理科や数学の先生になりたいと思うようになりました。大学で修士まで進学したのも専修免許状(特定の専門分野を指導するための教員免許)を取得するためです。研究を長く続けるつもりはまったくありませんでした」と話す牧野さん。家族や親戚にも、理系の仕事に就いている人がいなかったため、研究者という職業がピンとこなかったといいます。

大学で、三角形の形をした三角菌を扱う研究室に所属したのも、「将来、先生になったら生徒におもしろい研究を紹介したい」という理由からでした。三角菌は高い塩濃度の環境でしか生きられない極限環境微生物の一種です。

「研究室に入る前は、学部の学生実験でレポートを書く機会がたくさんあり、私はいつもその考察をするのが好きでした。文献を調べながら、実験結果について考察をして、頭のなかでいろいろな可能性を想像するのが楽しかったのです。でも実際に研究室で本格的に研究を始めると、論文や文献を調べてもわからないことばかり。

それで先生に『調べても答えが載っていません。どうしたらよいですか』と尋ねました。すると先生に『だから研究して自分で調べるんだよ』と言われてハッとしたのです。今考えると、研究をしている人からすればとんでもない質問だったと思います。しかし、私のなかで研究の意義がはっきりとわかり、研究への見方が変わった瞬間でした」

葛藤の先につかんだチャンス

牧野さんは、これまで学んできた理系科目の知識を総動員し、自分なりの仮説を立て、未知なることを探求することに喜びを感じるようになりました。そして「研究職に就きたい」という気持ちが少しずつふくらんでいきました。一方で、牧野さんのなかにはまだ「先生になりたい」という気持ちも残っていました。どちらかにふり切れないまま、修士1年生で就職活動の時期が訪れました。

「せっかく生物系の研究者になろうと思ったのですが、早めに選考が始まる製薬企業や食品企業はどれも落選してしまいました。まだ教職への未練もあり、方針はぶれていたと思います。ようやく、研究職以外で内定をもらえましたが、やっぱり研究職をあきらめきれませんでした。粘ってもう少し調べてみると、化学メーカーでも生物系の募集があると知り、それで合格通知をいただいたのが現在の会社です」

迷いながら、挫折しそうになりながらも、自分としっかり対峙して就職活動を乗り切った牧野さん。入社後は、臨床検査の分野にたずさわることになり、病気を診断する検査試薬の開発を担当してきました。たとえば、血液などの生体試料から、感染症の原因となるウイルスや細菌の遺伝子を調べるTRC反応を利用した技術がその一つ。新型コロナウイルスやノロウイルス、結核菌などさまざまな病原体の検出に応用されています。

TRC反応を利用したウイルスや細菌の遺伝子を検出する自動遺伝子検査装置(TRCReady(R)-80)

製品化は「思わぬ課題」の連続

牧野さんの場合は、入社後1年間は研究以外の職種として製造現場の仕事を経験し、その後、研究所に本配属されました。最初の2〜3年は基礎研究に従事し、4〜5年目で製品開発に直結する業務を任されるようになりました。そこで研究とは違う視点や、思わぬ課題に直面したことが、とても新鮮で印象的だったと語ります。

「鼻水からウイルスを簡易検出する試薬と装置の研究開発にたずさわった時のことです。研究段階ではウイルスを高感度に検出できていましたが、実際の現場では医師の鼻水の採取の仕方やタイミングによって、異物の量や鼻水の粘性にかなり差が出てしまいました。そうした個人差があっても問題ないような設計にしたり、試薬の組成を検討したり、さらに試薬を一定量、正確に計り取ってもらうために、どのような説明書きを添えればよいかも検討しました」

どんなに高度な技術を用いた製品でも、最後はユーザーの手に委ねられます。自分では直接コントロールできない部分にもどかしさを感じながらも、牧野さんは同僚とあらゆる使用シーンを想定しながら、改良を重ねていきました。

また、誤差を前提にすることで、試薬の組成がどの程度までなら変化しても性能に影響を与えないか、検査装置の温度がどの程度ぶれても問題ないか、品質を保証するための実験の重要性に気付くことにもなりました。さらに、製造を見据えた時に出てくる課題にも苦労したといいます。

「試薬の製造をスケールアップしていくと性能が悪化したり、大量に製造する場合には不向きだったり。つぎつぎと新たな課題が出てくるなかで、他部署と調整しながら進めていくのは大変でした」

たとえば、性能が従来より格段によくても、ほかの性質が変化してしまい、製造工程の大幅な改定が必要になって、安定供給が難しくなってしまうような場合です。そうすると安定供給を優先する必要性も出てきます。

「性能は高ければ高いほどよいと思っていましたが、生産を安定的に維持することも大切なのです」。1年目の研修で製造業務を経験していたことで、ものづくりの現場をリアルに想像できるようになり、製品の性能や品質、そして生産性を両立するため、常に複数のプランを考えるようになったと牧野さんは話します。こうして数々の課題を乗り越え、製品が形になる時は、大きな喜びとやりがいを感じられる瞬間です。

博士号取得のため再び大学へ

入社7年目のある日、牧野さんは研究所の所長から思いがけない提案を受けました。

「博士号の取得にチャレンジしてみては。授業料はかかるけれど、車を買うよりは安い。自分への投資にお金を使うのも有意義ですよ」

長年バス通勤を続けていた牧野さんは、そろそろマイカーを購入するつもりでした。一方で、社内には研究員の博士号取得を積極的に推進しようという動きがありました。海外では、民間企業の研究員であっても、博士号をもっていることが研究者としての能力の証明になるからです。そこで、牧野さんは、卒業した大学の研究室の先生に相談に行きました。業務内容を説明したところ「それなら、この研究室の分野に近いから」と話はトントン拍子に進みました。再び試験を受け、課程博士の学生として、働きながら大学に通うことになりました。

牧野さんの専門は、酵素などのタンパク質の機能改変です。たとえば、ウイルスを検出する試薬には、ウイルスの遺伝子を増幅するための酵素が含まれています。そこで熱に対して安定な酵素にしたいとなれば、耐熱性にかかわる遺伝子の領域を見極めてアレンジするのです。
牧野さんが「幸運だった」と話すように、これまでたずさわった研究テーマをより深める形で、会社や大学の理解と協力のもと、3年間で博士号の取得に至りました。

ふだんの実験業務のようす。タンパク質を生産する微生物を扱っているところ

10年目で感じた変化

研究者として一段とパワーアップした牧野さん。現在は、遺伝子治療に用いられるウイルスベクターに関連する製品の開発業務でテーマリーダーを任されています。ベクターとは「運び屋」という意味で、治療に必要なタンパク質をつくるように設計された遺伝子をウイルスに運ばせます。ウイルスが細胞に感染する力を利用して、細胞のなかに有用なタンパク質の設計図(遺伝子)を届けるのです。遺伝子治療はこれまで治療が難しかった希少疾患やガンの新たな治療法として注目されています。

牧野さんはテーマリーダーとして、実験計画を立てたり、メンバーに業務を割り当てたり、他部署との調整を図りながら、ときには自分でも実験を行います。デスクワークでは特許や論文を書く仕事もあります。リーダーになったことで求められる仕事の質が変わったと言います。

「以前は、いかに早く目的に関係するデータを出すかが大事でしたが、今はどうすれば、みんなが心地よく円滑に研究を進められるかということにいちばん気を配っています」

学生のころは、リーダーの経験はあまりなかったそうですが、入社後に複数の上司の下で働き、リーダーも十人十色だったので、上司や先輩それぞれのよいところを取り入れていったそうです。また、会社の青年部では部長としてイベントを運営し、新化学技術推進協会(JACI)という化学メーカーが参画する組織ではライフサイエンス部会の分科会メンバーとしても活動しています。会社と外部組織の橋渡し役として、化学業界のトレンドや最新情報を入手し、JACI主催の講演会などのイベントや褒賞の公募や審査にもたずさわっているそうです。

バイオ系の研究者として化学メーカーでさまざまな経験を積み重ねてきたことで、自身の考え方や心構えにも変化があったと教えてくれました。

「会社に入って数年は、英語や専門分野の勉強を怠らないとか、なんでもポジティブにとらえるとか、何ごともあきらめないといった、テクニックや精神論が大事だと思っていました。実際に、それは土台を築くうえでは重要だったと思います。しかし入社から10年が経ったころから、少し見方が変わりました。実験データなど、目の前にある事象を素直に受け入れ、その事実から逃げない。あるいは客観的に冷静に見つめる心構えがもっとも大切だと今は思っています」

『化学技術者・研究者になるには』には、ほかにも総合化学メーカーや素材メーカー、半導体業界、国の研究機関など、様々な場所で活躍する化学技術者・研究者が登場します。

『化学技術者・研究者になるには』堀川晃菜 著 ぺりかん社
 次世代電池、難燃性プラスチックや生分解性樹脂などの開発に取り組む研究者のドキュメントを軸に、知られざる化学産業の現場を紹介。ふだんの仕事、将来性、なるまでの道のりを解説します。

著者=堀川晃菜(ほりかわ・あきな)
科学コミュニケーター、サイエンスライター
1986年、新潟県新潟市生まれ。東京工業大学大学院生命理工学研究科修了。農薬・種苗メーカー勤務を経て、日本科学未来館 科学コミュニケーター。その後、Webビジネスメディアの編集・記者を務め、現在フリーランス。複数のメディアで科学記事を中心に執筆している。著書に『バイオ技術者・研究者になるには』(ぺりかん社)、『みんなはどう思う? 感染症』(くもん出版)。監修書に『どうなってるの? ウイルスと細菌』(ひさかたチャイルド)がある。