宇宙に行ってみたい! 宇宙にかかわる研究がしてみたい! 心のどこかで、そんな夢や憧れを抱いている人も多いはず。
そこで今回、Rikejoでは、JAXA(宇宙航空研究開発機構)で衛星開発プロジェクトにたずさわり、宇宙で活躍したい女性のエンパワーメントを目指す国連宇宙本部の取り組み、「Space4Women」で東アジア初のメンターにも選ばれた、小仲美奈さんにロングインタビューを敢行!
これから宇宙にチャンレジしてみたい、理系の研究・仕事がしてみたいという、みなさんへのメッセージをうかがいました!
(c) JAXA

偶然だった「かぐや」との出会い

今はどんなお仕事・活動に取り組んでいますか?

先進レーダ衛星「だいち4号」(ALOS-4)のプロジェクトチームの一員として、人工衛星の機械系開発に取り組んでいます。
ALOS-4に搭載されたL-バンドレーダは、地殻や地盤の動きを数cm単位で測定することができる能力を持ち、火山活動の観測をはじめ、災害時の被災地の状況把握など、災害大国でもある日本の役に立つ衛星です。
わたしは、東日本大震災後の宮城県仙台市で学生時代を過ごしたので、災害の大きな爪痕が残った東北で復興に向き合っている人々を見てきました。その震災のときに力を発揮した、「だいち2」の後継機である、この衛星のプロジェクトに配属されたときには運命的なものを感じました。

「だいち4号」(ALOS-4) (c) JAXA

宇宙開発に挑戦したい、世界の女性たちを応援する活動にも取り組んでいらっしゃるそうですね?

国連宇宙本部(UNOOSA)が主催する「Space4Women」という活動を通して、世界の女の子たちに、宇宙開発を目指す際の勉強の仕方をアドバイスしたり、キャリアメンタリングを行ったりしています。
「Space4Women」は、SDGs(国連の目指す「持続可能な開発目標」)の17の目標のうち、4番目「質の高い教育をみんなに」と5番目「ジェンダー平等を実現しよう」というゴールに向けた取り組みのひとつです。世界32カ国の約50人がロールモデルを示すメンターとなり、1年間にわたってメンタリングやイベントを開催するという活動をします。NASAや航空産業で活躍する女性がメンターとなっているんですが、わたしは2021年度のメンターに、東アジアの研究者として初めて選ばれました。

そもそも、宇宙に興味を持ったのは、どんなきっかけだったんでしょう?

保育園の後半から小学生低学年にかけての時期だったと思いますが、母に連れられて博物館やプラネタリウムによく行っていました。わたしの家族には理系の人はまったくいなくて、母もとくに理系ではなかったんです。ただ、あとで聞いたら、「博物館みたいなところは、子供のうちにしか連れていけないだろう」と思って、いろいろなところに行ってくれたみたいです。

その当時は、お花屋さんになりたいとか言っていて、宇宙にかかわる仕事につくことが明確な夢だったわけではありません。ただ、地球の外には宇宙や星があって、とにかく、すごくきれいだなという憧れは持っていました。あとは星の観察会といったときには、その日だけ夜ふかしができるので、子ども心にいちばん不思議な存在だったのかもしれないです(笑)。

一方で、仕事として「宇宙」というイメージを持ったのは、10歳のときでした。母と一緒に東京駅の前を通ったら、偶然、JAXAが月探査機の名前を募集していたんです。「月といえば、かぐや姫だよね」と「かぐや」と書いて投票をして、その後は応募したことも忘れていました。そうしたら、半年くらい経ってから連絡をいただいて、「あなたが『かぐや』という名前をつけました」という証明書と、記念のバッジをいただいたんです。
それがとてもうれしかったのと同時に、JAXAの存在や、宇宙に関わる仕事が存在するんだということを実感するきっかけになりました。

月周回衛星「かぐや」(SELENE)の命名者に贈られたバッヂ (c) JAXA

「かぐや」との出会いがJAXAとの出会いでもあったんですね

そうですね。そして、それが将来の夢にもつながっていきました。「かぐや」の行った月に、わたしもいきたいと、宇宙飛行士になりたいと考えるようになったんです。

大切なのは「自分から発信すること」

宇宙を目指すと決めて学生時代を過ごされたわけですが、大学進学前に取り組んだことがありますか?

わたしが通っていた中高一貫校は東京の渋谷にあって、天文学部などもなく、宇宙に触れる機会はあまりありませんでした。
そこで、まずは英語に慣れようと、高校1〜2年生の1年間に、ホームステイでアメリカのワシントンD.C.で過ごしたんです。

ただ、実際に行ってみて、非常に勉強になったのは、英語よりもコミュニケーションの方法、それに「人とちがうことをやってもいいんだ」と意識が変わったことです。

コミュニケーションのあり方として、とても大切だと思ったのは、とにかく「自分のやりたいことを、積極的に発言していれば、どこかで誰かとつながっていける」ということですね。
ホームステイ先の学校で、「わたしは宇宙飛行士になりたいから英語を学びに来たんだ」と言っていたら、単に廊下で立ち話をするくらいの関係性の子から、その話が保護者の方に伝わったんです。そうしたら、その方がNASAのゴダート宇宙センターに勤務していて、「じゃあ見にくれば」と言ってくれたんですね。
ちょうどそこでは、ハッブル宇宙望遠鏡の後継機であるジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡で組み立てが行われていて、完成すると6m以上にもなる巨大な主鏡を、まじかに見ることができました。
「こんなに大きな、金色のものが宇宙にいくんだ」と感動するのと同時に、「こういうところで働きたい」という具体的なイメージをつかむこともできました。本当に貴重な経験だったと思います。

将来の職場のイメージも固まったところで、大学選び・学科選びはどのようにされたんでしょうか?

自ら発言して、行動することで道が開けるなあと実感したこともあって、帰国後に当時JAXAがやっていた「JAXAサイエンスキャンプ」(現「エアロスペーススクール」、新型コロナウイルス感染症の影響もあり次回開催時期は未定)という催しに参加しました。
つくば宇宙センターに泊まりこんで、参加者同士で宇宙飛行士の生活について討論したり、職員の人と話したりすることができたんですね。
当時はJAXAが宇宙飛行士を募集していない時期だったこともあって、日本人として宇宙にかかわるなら、何ができるかということを具体的に考える機会になったと思います。
自分が勉強するなら、天文系か機械系だなと、まず絞り込んでから、自分は観測をしたいのか、自分の作ったものが宇宙に行ってほしいのかと考えて、最終的に工学部に進もうと思ったんです。

機械系の中でも、東北大学を選んだのは、なぜですか?

オープンキャンパスに行ったことが大きかったかもしれません。
そこで、Googleが主催した月面探査コンテストの「Google Lunar XPRIZE」でCTOをつとめられるなど、宇宙に送り出す機械の研究で活躍されている吉田和哉先生の、吉田研究室と出会ったんです。
吉田研究室では、月面で移動するためのローバーを作っていたり、人工衛星も作っていたり、他にもスペースデブリ(宇宙ゴミ)対策の研究など、いろんなことをやっていたんですね。
お会いした吉田先生もとてもやさしかったし、海外から研究室に来た研究者の人が多かったこともポイントだったと思います。というのは、わたしはホームステイしていたので英語に不自由しませんでした。海外の研究者たちは、逆に日本語しゃべれなかったので、高校生向けのイベントでは、あまり話せる相手がいなかったようなんですね。
わたしが英語で質問をすると、とてもよろこんでくれて、たくさん話すことができました。そのときの雰囲気もすごくよかったので「ここでローバーを作りたいな」と思ったのが、大きなきっかけです。
それで、東北大学工学部機械知能・航空工学科に入りました。

宇宙で活動させる機械といっても、いろいろな種類があるんですね

そうですね。ただ、ローバーも衛星も、宇宙に送り出すという意味では、共通して考えるべきことがあります。
宇宙というのは、真空になったり、超低温から一気に数百度まで温度が変わったりと、熱への対応も大変です。
そうした極限環境であるということと、人間が直接、近くで操作できないので、制御をどうするかといった課題は似通っていて、逆に言えば、そこさえ共通していれば、いろいろな切り口から宇宙に関わる研究ができたんです。

女子が10%しかいない環境でもがんばれた理由

魅力的な環境ですが、機械系の研究室というと、やはり女子が少ないイメージがあります

東北大学は、そもそも学生数でいうと3分の1が工学部系なんですけれども、入学式から男子だらけでしたね(笑)。
最初の授業では「女子はどこにいるんだ」と思ってしまいました。実際、約250人の同窓生の中で、女子は30人くらい。高校のときは女子のほうが人数が多い環境だったので、正直、戸惑いました。

そんな中での学生生活は、スムーズにスタートできたんでしょうか?

2〜3ヵ月で慣れたと思います(笑)。工学部の男子は、自分の世界をしっかり持っているような人が多いので、こちらから話しかけないと会話がはじまらないなと気づいて、自分から積極的に話しかけていった気がします。
それに、わたしとしては、数学で言えば解析、それに物理や化学の難しい部分は、やはり一緒に勉強できる友達がいないと乗り越えていけないと思っていて、男子も女子も関係なく接していたので、自然と、性別によらずに「仲間」として見るようになったように思いますね。

学生時代は、サークル活動にもはげんでいたのだとか

人力飛行機を作って飛ばす「鳥人間コンテスト」というものがあるんですけど、それに挑戦するチームに入って、2年目には優勝した機体の駆動部分を製作しました。
ただ、入学時点からの目標だった吉田研究室は、学内でも大人気の研究室で、かなり勉強して上位の成績を取っていないと入れないんですね。
一方で、鳥人間のチームもかなり忙しくて、落第する人もいるくらいなんです(笑)。ときには、チームでの活動でパンクしそうになって、吉田先生に悩み相談をしに行ったりしてしまいました。

先生はなんと?

「工学では、チームワークが一番大事だよ」と。つらいときに人とどうコミュニケーションを取るのかを、そういう経験から学んでほしいと言っていただいたんですね。それで頑張れたということがあります。
大学以前に、東京の私立中高一貫校で過ごしていた間は、とにかく勉強ができればいいという感じで、チームワークについて考えることなど、あまりなかったんです。
でも、鳥人間のチームでは、ときには学校に泊まり込んだりして、次第に家族のようになっていって、「ああ、吉田先生が言いたかったのはこういうことなのか」と思いましたね。

そうした経験は、いまのJAXAの仕事でも活きていると思っています。大規模なプロジェクトというのは、JAXAの内部だけでできるものではなくて、メーカーの方なども含めたチームワークとお互いへの信頼が重要になります。相手に専門的な質問をするときでも、この人なら聞きたいことをわかってくれるだろうといった信頼感が、開発をスムーズにしていくんですね。
高校までの自分は、そうしたことがわかっていなかったんだなと、いま振り返ると感じます。

そして念願の吉田研究室に入れたわけですが、その後はどんな研究生活を?

とりあえず「研究ってなんだろう」というところからはじまりましたね。研究室で選べるテーマがあまりに多くて、何をやろうか迷ってしまったんですが、結局ローバーの車輪の形をどうするかという研究をすることにしました。
月の砂を模した面に、いろいろな形状の車輪を置いたとき、どんなところに圧力がかかっているかなどを調べたんですが……なかなか成果が出ませんでした。

それで、より開発的な研究に路線変更をして、人工衛星の熱設計というテーマに挑戦することにしたんです。
その頃にかかわったプロジェクトの中に、衛星から人工流れ星を打ち出す事業をやっている、宇宙ベンチャーのALEの衛星の設計というものがありました。
ALE-1の熱設計に参加して、人工衛星に熱が与える影響について、同社の人たちと一緒に勉強しました。これが、いまのJAXAの仕事には一番、役に立ったかもしれません。

ALE-1は2019年に無事に打ち上げられたんですが、わたしはちょうどベルリンに留学していました。同社の方がすぐに連絡をくれて、ちゃんと衛星が動いていると教えてくれたときには、本当にうれしかったですね。

(c) JAXA

世界に出て見つめ直した「日本の宇宙開発」

留学も経験されて、宇宙開発にたずさわる道は広がりましたか?

実は、ドイツにいたときには、そのまま博士課程に進むか、実践的に宇宙開発の現場で働きはじめるかで、すごく迷ったんですね。
博士に進むにしても、「これをやりたい」というテーマが見つかっていませんでした。一方で、ドイツで就職しようかとも思ったんですが、宇宙分野では、やはり経験がないとなかなか就職が難しいとわかりました。

そんな時期に参加したのが、ちょうどオランダで開催されることになった、国際宇宙大学です。
国際宇宙大学は、世界各地のさまざまな分野の研究者が集まって、これからの宇宙開発をどうしていきたいかを語り合う場だとイメージしてもらえればいいかと思います。
研究者といっても、天文学や工学だけでなく、法律、政治、ビジネス、医学など、本当に多岐にわたる分野の人々が集まるんですね。

そんな中に、JAXAから参加された研究者の方もいました。そうした方と一緒に世界的な催しに参加してみると、やっぱりわたしにも、「日本の宇宙開発はどうですか」といった質問が飛んでくる。ある意味では、日本の代表として話さなければならないんだと実感したんですね。

それと同時に、それまでは日本の宇宙開発ってすごいなと素朴に思っていたけれども、世界を見ると、インドとかイスラエル、中国といった国々の活躍が華々しく語られていて、残念ながら日本は、わたしが思っていたほど大きな存在じゃないんだと感じてしまったんです。
だったら、自分ももっと日本の宇宙開発に貢献したい、日本の存在をもっと世界にアピールしたいと強く感じるようになりました。

これは大学時代から感じていたんですけど、日本の研究者には職人的な美学というか、「美しいものは誰が見ても美しいのだから、アピールなど考えなくてもいい」といった考え方が根強いように思うんです。それはそれで構わないんですけど、わたし自身は、もっと世界に向けて発信できないかなという思いが強いので、日本のいいところを、より多くの人に知ってもらいたいなと考えています。

そして、JAXAに入られたわけですね

やはりJAXAは、日本の宇宙開発全体のマネジメントをしているので、活動の幅も広いし、やりがいを感じます。

ただ理系女子という観点でいうと、わたしが参加している人工衛星のプロジェクトは経験豊富なベテランが多くて、やはり男性が多いんですね。JAXA全体で見ても、女性が増えてきてとは言っても、女男比率が2:8くらいだと思います。
それでも、JAXAに入ったときには、女性のマネージャーがいらして、女の子が入ってきてくれたとよろこんでくれたんです。女性同士、一緒にお昼を食べたりして仲良くしていただきましたが、やっぱりそうした、ロールモデルとなる先輩たちがいたからこそ、自分の居心地がよくなっていると感じています。

今後、女性が宇宙開発に参加するのが当たり前になっていくという雰囲気は、もうひしひしと感じているので、いま学生で宇宙開発に参加してみたいという女子のみなさんにも、ぜひチャレンジしてもらいたいですね。

これから宇宙開発や、宇宙に限らず理系の研究がしてみたい、科学を仕事にしてみたいと思っている後輩理系女子たちは、まずどんなことに取り組めばいいと思いますか?

まずは、自分から具体的な経験をするように試してみてほしいですね。擬似的な体験でもかまいませんから、とにかく自分で動いてみること。
いまは新型コロナウイルスの問題などで難しい場合もあるかもしれませんが、JAXAでもインターネットなどを通じて、宇宙での活動を体験したり、学んだりする取り組みの募集をしていると思います。そうしたものに、とりあえず応募してみてほしいです。
ここまでにお話ししたように、わたし自身も自分から積極的に動くことで、人と出会ったり情報を得たりできて、それによって目標にどう向かっていけばいいか、具体的にイメージできるようになりました。

それと、「理系であること」で、過剰に迷う必要はないと思います。自分が好きなものだったら、世代も性別も関係なく、一緒に夢を追いかけられて、仲間になれます。
だから、自分自身で先回りして心理的なハードルを作ってしまわずに、やりたいことを突き詰めていけばいいんじゃないでしょうか。

ありがとうございました!

小仲美奈さんの活動や記事中の取り組みをもっと知りたい方はこちらから。
- JAXA ALOS-4 プロジェクト紹介ページ
https://www.satnavi.jaxa.jp/project/alos4/projectMember/konaka.html
- Space4Women
https://space4women.unoosa.org/content/2021-mentor-mina-konaka
- 国際宇宙大学
http://unisec.jp/jasi/archives/362
- TED x TohokuUniversity
https://www.youtube.com/watch?v=a9z48LA2rm4
- トビタテ!留学JAPAN
小仲さんが国連宇宙大学に参加したオランダや、ドイツへの留学の際に活用した文部科学省主催の留学支援プログラムはこちら。
https://tobitate.mext.go.jp/