みなさんは嫌いな食べ物、ありますか?

好き嫌いは体によくない」なんて言われても、人それぞれ多少の苦手はあって当たり前というもの。一方で食べ物の「好き嫌い」には不思議も多く、昔は嫌いだった食べ物がある時から好きになったり、逆に以前は食べられていたものが突然嫌いになったりすることもよく聞く話です。

こうした「時間の経過とともに好き嫌いが変わる」事象はどうして起こるのでしょう? 背景にある「食べ物の好き嫌いが生まれるメカニズム」がわかれば、応用して「嫌いな食べ物を好きになる方法」を導くこともできそうです。

まさにそんな「食べ物の好き嫌いのメカニズム」の研究に取り組むスペシャリストが、大阪大学歯学部大学院歯学研究科の豊田博紀准教授。今回は豊田先生にお話を伺い、研究の最先端について教えていただきました!

実は複雑な「好き嫌い」のメカニズム

──早速ですが、「食べ物の好き嫌いが生まれる理由」について教えていただけますか?

豊田 食べ物の好き嫌いが生まれるメカニズムとしては、「遺伝的要素」によるものと「環境的要素」によるものの、2つのパターンが知られています。

まず遺伝的要素からご説明します。前提として人間が感じる食べ物の味は「甘味」「酸味」「苦味」「塩味」「うま味」の5種類の基本的な味「5基本味」から構成されています。そしてこの5種の味は人間が本能的に「栄養になる成分」と認識する味と「有害な成分」だと認識する味とに二分することができます。

「栄養になる成分」と認識される味は「甘味」「塩味」「うま味」の3種です。

「甘味」は主に糖分によって感じられる味で、糖はエネルギー源になる。疲れたときには甘いものが食べたくなりますよね。同様に、「塩味」はミネラルの味。運動をして汗をかくとしょっぱいものを身体が求めるようになります。

それから「うま味」は、アミノ酸の味。アミノ酸はタンパク質のもとになるもので、これもやはり人間の身体をつくるうえで欠かせない栄養素です。昆布や鰹節など、だしに使われる食材や、うまみ調味料にはアミノ酸の一種であるグルタミン酸が豊富に含まれています。

このように、「甘味」「塩味」「うま味」の3つの味は、我々の生命活動に必要な成分の味として、遺伝子レベルで好きだと感じるようになっていると考えられています

──身体に必要なものは、本能的に好きと感じるようになっているのですね。残る2つの「酸味」と「苦味」はどうでしょうか。

豊田 「酸味」は食べ物が腐ると生じる味ですし、「苦味」は毒になる物質を感じ取るための味だと言われており、いずれも人間にとって「生まれつき苦手な味」であることが知られています。

酸っぱい梅干しが嫌い、ピーマンの苦味が嫌いといったことは、人間がもっている腐った食べ物や毒物を避けるための本能による可能性が考えられます。こうした本能的な反応が、好き嫌いの原因のうちの遺伝的要素と呼ばれるものです。

──もうひとつの「環境的要素」はどんなものなのでしょうか。

豊田 これは個人の食経験がきっかけになるもので、特定の食材を食べたあとに体調を崩してしまったなど何か嫌な体験が重なってしまった際に「嫌悪記憶」が刻まれ、その食べ物を嫌いになってしまうというケースです。

たとえば生牡蠣を食べてあたってしまった人が、それ以来牡蠣を苦手に感じ食べられなくなってしまう、といったことです。

体調を崩してしまったといったわかりやすいパターンだけでなく、特に子どものうちは嫌悪記憶の生成される回路が複雑で繊細なので、「テレビが見たかったのに無理やり食べなければならなかった」など、ちょっとした経験が好き嫌いのトリガーになることもあると考えられています。

言い換えれば、できるだけ好き嫌いを生まないようにするためにはまずは何より楽しく食事をすることがいちばんだといえるでしょうね。

──一方で、本来なら本能的に嫌いなはずの「苦い」コーヒーを好んで飲む人も多いように、大人になるにつれて苦味や酸味のあるものも好きになってくることがあるのはどうしてですか?

豊田 それについては、「味」以外の部分でなんらかのメリットを得る経験を重ねるうちに好きになるケースが多いと考えられます。たとえばコーヒーを好きになるのは、コーヒーがもつリラックス作用を感じるうちにだんだんと味も好きになっていくといった理由があるのでしょう。

──「遺伝的要素」による好き嫌いは、その後の食体験によって克服できるということですね。では「環境的要素」によって後天的に生じた好き嫌いの場合でも、克服することは可能なのでしょうか?

豊田 はい。環境的要素によって食べられなくなってしまったものも、再び食べられるようになることがあります。生牡蠣にあたった経験から食べられなくなっていたのに、ずっと後になってチャレンジしてみたら美味しく食べれた、というような体験ですね。

嫌いなものがいつの間にか食べられるようになっているということは、珍しくないのです。味覚の嫌悪記憶はずっと続くわけではなく、その後の経験や学習によって変化する。このように環境的要因で嫌いになった食べ物を食べられるようになることを「味覚嫌悪記憶の消去」と呼んでいます。

──苦手な食べ物が食べられるようになったら、栄養面でもメリットが多いですね。

豊田 そうなんです。子供の成長にとっても好き嫌いなくいろいろな食材を食べられるようになることはとても大切ですし、偏食による成人病予防なども期待できます。でも、どうして嫌な記憶がなくなるのか、脳内で何が起こっているのか、これまであまりわかっていませんでした。

そこで「味覚嫌悪記憶の消去」についての研究を始め、最近もそのメカニズムをひとつ解明することができました。ここからは少し専門的な話になりますが、できるだけわかりやくご説明していきますね。

「味覚嫌悪記憶の消去」の脳内のメカニズム

豊田 まず、人間はどこで味を感じているでしょうか?

──舌ではないでしょうか?

豊田 そうですね、味を感じる器官といえば舌です。ただしより詳しく言えば舌の働きにくわえて「脳」の働きが重要です。人間の細胞にはレセプター(受容体)と呼ばれる外部からの刺激を受容する役割を担うタンパク質があります。舌にある味覚のレセプターは、甘味、酸味、塩味など自分が受け持つ味の要素が口の中に入ってきたときにそれと結合し、その情報を神経を通じて脳に伝えます。それによって、人間は味を認識します。

──舌で受けた食べ物の物質の情報が、神経を伝わって脳に届いてはじめて、味を感じるということですね。

豊田 脳内でも特に「島皮質」と呼ばれるところが人間の味覚の認知を担う部位として知られています。そして今回のテーマである味覚嫌悪記憶の学習と消去にも、この脳の島皮質が深く関わっていることが先行する研究を通じて明らかになっています。

──脳に伝わった刺激を単に認識するだけでなく、体験として記憶することもまた「島皮質」の機能のひとつということですね。

豊田 はい。一方で、味覚嫌悪記憶が学習される際、および消去される際に具体的にどのようなメカニズムが働いているのかについてはまだよくわからない部分も多い。それを明らかにするために現在私が着目しているのが島皮質における「シナプスの可塑性(かそせい)」についてです。

──「シナプスの可塑性」とは、なんでしょうか?

豊田 人間の記憶と学習には、脳内の神経細胞である「ニューロン」とそれらを接合する「シナプス」という構造が深く関わっていることは広く知られています。このシナプスが情報を伝達する効率は常に一定というわけではなく、外からの刺激に適応して柔軟に変化しています。これを「シナプスの可塑性」と呼びます。シナプスの可塑性が活性化していると、同じ強度の刺激に対してもより反応が強く起こり、学習が定着しやすいと考えられています。

──その反対に島皮質のシナプスの可塑性が弱まると、味覚嫌悪記憶が消去に向かうと考えられるわけでしょうか。

豊田 そうですね。島皮質におけるシナプス伝達の可塑的な変化が味覚嫌悪記憶の消去にも深く関わっていることまでは先行する研究からも確実視されています。ただそのシナプスの可塑性が具体的に脳内でどのようにコントロールされているかについてはわかっていませんでした。それを実験によって観測しようと試みました。

「食べても大丈夫」という体験を模倣的に作り出す

──実験はどのような手法で実施されたのでしょう。

豊田 私が注目したのが「内因性カンナビノイド」という、脳内麻薬の1種としても知られる物質です。内因性カンナビノイドの役割は学習の記憶認知、運動制御、鎮痛、食欲調整など多岐にわたりますが、味覚嫌悪記憶の消去にも関わる物質であることがこれまでの研究で既にわかっています。

そこで「島皮質のシナプス可塑性が、味覚嫌悪記憶の消去に関わる物質である内因性カンナビノイドによってどのような制御を受けているか」を観察する実験を行ったのです。

具体的には、マウスの脳を使い、島皮質内の味覚を司る領域に100Hzの連続高頻度電気刺激を4秒間与えました。それによって内因性カンナビノイドを放出誘導することができるのです。より簡単に言えば、電気刺激によって脳内麻薬を産出することで「食べても大丈夫」という体験をした状態を模倣的に作り出した、ということです。

──結果はどうなったのでしょうか?

豊田 電気刺激を与えた結果、内因性カンナビノイドの産出によって抑制性シナプスの伝達効率が低下しました。シナプスには興奮性と抑制性とがあり、抑制性シナプスは神経細胞の興奮を抑えるシナプスです。島皮質内の抑制性シナプスの伝達効率が低下した、ということは、それまで働いていた食欲を抑制する作用が弱まっていくということです。

──つまりこれが味覚嫌悪記憶の消去につながる神経活動であるというわけですね。

豊田 そのような示唆を得られたと考えています。もちろん実際にはさらに細かい検証プロセスを踏んでいて、たとえばこの結果が本当に内因性カンナビノイドの作用によるものであるかを確かめるために、内因性カンナビノイド受容体に対して働く阻害薬を使用して同様の実験を行っています。結果は、抑制性シナプスの伝達効率が増加に転じることが確認されました。

──これまで「内因性カンナビノイドが味覚嫌悪記憶の消去に関わっている」というおおよその因果関係だけがわかっていた状態から、その神経活動のひとつが島皮質で起きているだろうこと、そしてその具体的なメカニズムまで、先生の実験によってかなり詳細に明らかになってきたわけですね。

豊田 はい。ですがもちろんまだ次なる課題もあります。たとえば今回は島皮質という部位で実験を行いましたが、実際には味覚嫌悪学習には島皮質以外の部位も関わっていると考えられています。

さらに言えば内因性カンナビノイド以外の神経伝達物質も、味覚嫌悪記憶の消去において何かしらの役割を担っている可能性が考えられますし、今回はマウスでの実験でしたが、果たして人間でも同じ現象が起こるのかについても今度もさらに調べていく必要があります。

歯科医から脳神経の研究者に

──今回の実験にあたり、とりわけ苦労されたのはどんなことでしょうか?

豊田 実験そのものというよりも、実験の結果をどのように分析・解釈し、次にどのような実験を組み立てていくべきかを考えることにおいて難しさがありました。この反応はどうして起こったのか、先行研究でわかっていること/いないこと、様々な文献を調べて検討する工程は、今回の実験に限らず非常に苦心するところですね。

──やはり先行文献を地道にあたる作業は、大変だけど避けては通れないものなのですね。

豊田 そうですね。ですが、必ずしも文献にあたるだけが全てではなくて、いろいろな人の意見を聞いてみるということも大切だと思います。分析に行き詰まったとき、何かを見逃していることに自分だけでは気づけないことも多いですから。

──ところで先生はもともと歯科医として臨床の現場にもいらした方ですよね。現在、主に脳神経の研究をされているのは、どうしてなのでしょうか?

豊田 おっしゃる通り歯科医として口腔外科にいたのですが、患者さんが口内の痛みを訴える原因をいくら調べても歯学の観点では異常がなく、そこで神経を専門とする先生に助言を求めたところ、口の中ではなく脳の異常が原因だったことがわかり治療につなげられたということが何度かありました。そうした経験を経てより多くの患者さんの痛みや悩みを解決したいという想いから脳のメカニズムにも興味を持つようになりました。

自分の専門にこだわり過ぎずに、いろんな学問の知見を活用して問題を解決しようとすることは、臨床においても研究においてもとても重要なことだと思います。

取材に応じていただいた、大阪大学歯学部歯学研究科の豊田博紀准教授

──今後取り組みたい研究テーマにはどんなことがありますか?

豊田 たくさんあります。人によって食べ物の好みが違う理由、温度によって味の感じ方が変わるのはなぜなのか、パリッとしたおせんべいと湿気ったおせんべいでおいしさに差を感じる仕組み……他にも、それまでお母さんのおっぱいを飲んでいた赤ちゃんが物を食べられるようになるに伴い、どのような脳の変化が起きて運動が変化するのかということだったり、学校の給食を食べるのにどうしても時間がかかってしまう子がいるように、人によって噛み方や食べるスピードの違いが生まれる仕組みなどにも興味を持っているところです。

──「食べる」を起点に興味のアンテナがどんどん広がっていきますね!

豊田 「食べる」ことに関する様々な現象に目を向けると、本当に興味がつきません。味覚というのは、食べ物が持つもともとの味だけではなくて、様々な感覚が統合されて生じるものです。好き嫌いや、食べ物を味わうことに関わる現象についてはまだまだ謎が多く、神経伝達によって生じる現象の仕組みを突き止めるには、島皮質だけでなくほかにもたくさんの部位をひとつひとつ根気よく調べていく必要があります。本当に地道な研究の積み重ねです。

でも未知のことが多い分野に挑んでいるからこそ、目の付け所次第で次々と新しいことがわかっていくことにはやりがいを感じていますし、結果人々の健康増進に結びつくなど、「健康を科学する」ことは、社会の役にも立ちます。これからも研究を続けて、ひとつでも多くのメカニズムを解明していきたいと考えています。

(本記事は「リケラボ」掲載分を編集し転載したものです。オリジナル記事はこちら

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