高分子化合物からなる薄いシートは、電子機器や医療用品、化粧品、日用品をはじめ、私たちの身の回りの製品に欠かせないもので、薄さの追求はこれまで多くの化学者が挑戦してきました。しかし、塗布や延伸といった工程で作られるといった製造の原理上、分子レベルまで薄くすることはとても困難で、これまで分子レベルの厚さの高分子シートを大量にかつ合理的に合成する方法はありませんでした。

しかしついに、分子レベルの厚さのものを正確に、なおかつ大量に作る技術が発明されたのです!

この“究極の薄さ”を実現する技術を開発したのが、東京大学大学院 新領域創成科学研究科の植村卓史教授です。発見の原点や、研究者として大切にされていることについてお話をうかがいました。

史上最薄の高分子シート、その合成法と性質は?

──まずは、わずか“分子1つ分の厚さ”の高分子シートを作る手法について教えてください。

私たちが着目したのはMOF(多孔性金属錯体)というナノサイズのすき間を持つ材料です。今回の研究では、すき間が0.8ナノメートルのMOFを作り、1分子の厚さが0.7ナノメートルのスチレンモノマーと架橋剤をMOFのすき間に入れ、化学反応を起こすことでポリスチレンを合成しました。つまり、MOFを鋳型として使うことで、分子1つ分の厚さの極薄の状態で高分子シートを合成することに成功したのです。

この手法は反応のスケールアップも容易に行うことができ、極限まで薄い高分子シートを大量に合成することも可能です。また、モノマーの種類も選ばないため、スチレン以外の材料を合成することもできます。

 

 

──MOFに着目したのはどうしてだったのでしょうか?

私は高分子化学で博士号をとってから大学に残って助手をやっていたのですが、その時配属された研究室は高分子に縁もゆかりもないところでした。分野でいうと、無機化学や錯体化学の研究室です。そこではMOF、つまり多孔性の金属錯体を研究していました。それまで私が学んできた高分子化学と、錯体化学を融合させた研究ができないかなと考えたのが、着想のきっかけでした。

──合成された極薄の高分子は、どんな性質を持つのでしょうか?

一般的な高分子は、たくさんのモノマーがつながり鎖状になったものが、三次元的に絡み合うことで形作られています。一方で今回の手法で合成した高分子シートは、モノマーの鎖が網目のように広がった二次元構造を持つことがわかりました。通常のプラスチックとは性質が異なり、スライムのような流動性を示すこともわかっています。

 

 

──これから社会のどんなところに活用されていくとお考えですか?

自動車やスマートフォンなど、高性能化や軽量化が要求される製品開発において、薄い高分子シートが活躍してくれると考えています。実際に今、いろいろな企業から問い合わせをいただいているところです。

究極の素材をつくること、それ自体がよろこび

──ところで先生はどうして史上最薄の高分子シートをつくろうと思ったのですか?

「究極の材料を作ろう!」と、動機はただそれだけでした(笑)

──非常にシンプルです!

「やるからにはこれ以上薄くならないところまでのものを作ってやろう」という、子どもがとにかく究極を求めるのと似ていますね(笑)。分子の薄さのものができたら、純粋にみなさんがびっくりしてくれるんじゃないかなと考えたわけです。応用面のことはそれほど考えていなくて、「こんなことができたら面白いんじゃないか」という純粋な興味のもと研究を始めました。

 

 

──原動力はあくまでも、純粋な「知的好奇心」や「みんなを驚かせるような面白いことをやりたい」という気持ちなのですね。

面白い材料ができれば、わかってくれる人はわかってくれるし、目を向けてくれる人があらわれれば、応用や実用の可能性が次々と広がっていくものです。だから、初めから応用ありきではあまり考えていないです。結果的に社会に広く役に立つ素材になるのは嬉しいことですが、あくまで二次的なものですね。究極の素材を作ることそれ自体が、いろいろなことに応用可能な基礎技術の開発なのです。ですので、基礎研究者は、とにかく「面白い」と思うことをやり続けることが大事だと思います。

査読を突破するコツ

──今回の研究で苦労されたことはどんなところですか?

実は、MOFを鋳型にして高分子シートを作ること自体は、意外とあっさりとできました。2、3年ほど前に着想してから少しずつ検討を進めるなかで、MOFを鋳型のように使えば実現可能だろうとほぼ確信に至っていたのもあり、実験自体はスムーズでした。

今回最も苦労したのは、論文を投稿する際の査読です。私たちとしては良い研究という自信があったのですが、いざ査読コメントを見ると、最初はあまり好意的なものではないのもありました。

──どんなフィードバックだったのでしょうか?

まず、私たちが今回作ったのは、スチロール樹脂とかアクリル樹脂など、世の中で広く一般的に使われているプラスチックを極限的に薄くしたものです。ですが、「高分子」というともっと範囲が広くて、プラスチック以外にもいろいろな材料があり、中には特殊な構造をした高分子や、高度で難易度の高い特別な技法を使ったもの、薄いものももちろんあります。そういう事例があるなかで、おそらく「新規性に欠ける」と判断されたのではないかと思います。

──論文が無事アクセプトされるかどうか、非常に身につまされるお話です。

そうですね。査読者を説得することは非常に大事です。私たちの場合、「分子レベルの薄さの汎用プラスチックを、MOFを使うことで大量に作れる」ということが大きなメリットなので、それを最大限アピールするために、追加のエビデンスを揃えたり、研究の意味・重要性を理解してもらうことを主眼として大幅に原稿を書き直しました。

査読者は同業の研究者であることが多いので、普段から国内外の学会など同業の研究者コミュニティの中で、自分の研究内容を知ってもらう・わかってもらう努力が必要だと感じました。そうすれば、膨大な書き直しの作業をせずとも、研究成果をもっと早く理解してもらえていたかもしれません。

研究は、―当たり前のことではありますが―、論文を投稿して完成ではなく、掲載されてはじめて世に出るわけなので、人付き合いを大切にして、研究内容を認めてもらいやすい環境をつくっておくことも重要だと思います。

化学で自分を表現する

──今回の成果を踏まえて、今後どのようなことをされたいですか?

今回はMOFの空間の中にモノマーを入れ、それをつなげることでポリマーつまり高分子を作ることができました。今後はMOFを活用して、MOFの中でポリマーを分別するということをやってみようと思っています。MOFを使って高分子の中の1000分の1、1万分の1の違いを識別し、分離できるようになる可能性が見えてきています。高分子には長いものもあれば短いものもあって、分子ごとに性質が異なります。

これまでは分子ごとの長さの区別は考慮されることなく混ざったまま使われてきましたが、構造タイプごとに識別・分離が可能となれば、それぞれの分子の個性を最大限に活かした材料を作れるようになります。これは世界中でも誰も着目していないところだと思うので、今後ぜひ発表したいと思っています。

──世界で誰も着目していないテーマ。研究者はオリジナリティが大切とよく言われますね!

そうですね、それはずっと昔から意識していました。私の出身大学(京都大学)も、オリジナリティをすごく重要視していて「二番手三番手というのは存在しないのと同じ」というような教えもあったように思います。

研究は独自の手法や技法を使うと、自分だけの表現ができるというのがあって、ちょっと格好つけると、アーティストと同じようなところがあると思っています。

そういう意味では、研究者に求められるものは、オリジナリティとクリエイティビティ両方なのだと思います。クリエイティビティを発揮することでいろいろな人に評価してもらえるというのが、研究のすごく楽しいところですよね。学生にもよく「化学で自分を表現する」ということを繰り返し言っています。

私自身は大学から大学院、助手になり配属された研究室に至るまで、それぞれで専門が大きく変わり苦労がありましたが、そのぶん、複数のバックグラウンドを活かした独自の手法や技法を生み出すための引き出しを増やすことができました。不遇と思う境遇を逆手にとって、研究にオリジナリティを持たせることも重要だと思います。

──オリジナルな研究テーマを見つけるコツはありますか?

物事を真正面から見ず、斜に構えてみることが重要かなと思います。斜に構えるというと、性格が悪いと捉えられてしまうこともあるかもしれませんが…。そこはうまくコミュニケーション能力を発揮して嫌われないようにするとして(笑)。要は、王道を踏まえつつも、そのうえで自分なりの独自の視点で物事を見ましょうということ。

それともうひとつ、最後は「自分で判断」することですね。今はネットで簡単にいろいろな情報を得ることができますが、そうした情報を鵜呑みにするのではなく、自分の頭でいろいろな角度から考えてみることが、研究者としてとても大切な態度だと思います。そうすることで新しい発見や自分なりのアイディアが生まれ、それらを積み重ね、組み合わせることによって、自分だけのオリジナルな研究が生まれるのだと思います。

<取材を終えて>

研究者にはオリジナリティが大切であり、そういう意味でアーティストに共通する資質が大切になってくるというお話には、とても納得させられました。研究者の方、特に世の中的にも注目されている研究者の方は、本当にオリジナリティとクリエイティビティに溢れる方が多いです。

「おもしろいことをやりたい、新しいこと・すごいことを発見して、みんなをびっくりさせたい。」というのも、これまでリケラボがお話を伺った多くの研究者の方々に共通している言葉です。

一方で、オリジナルを追究していく、未知の世界へ踏み出すフロンティア精神を発揮していくということは、自分の独自世界を構築していくことでもあり、時には、周囲に理解者がいなくなるような孤独感を感じることもあるかもしれません。

そんなところも研究者はアーティストに似ていると思うとともに、「研究成果を認めてもらうためにも日ごろからの周囲とのコミュニケーションが大切」という先生の言葉の意味がしみじみと深く感じられました。

植村先生、貴重なお話をありがとうございました!

(本記事は「リケラボ」掲載分を編集し転載したものです。オリジナル記事はこちら

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