がん患者の細胞では、核小体が異常なまでに大きくなります。「鬼の目」と呼ばれるほどに核小体が肥大する、この現象自体は以前から知られていたものの、そのメカニズムは長年の謎でした。これを解き明かしたのが、シンシナティ大学にラボを構える佐々木敦朗准教授です。

佐々木准教授らのグループは、日米英独の4カ国21もの研究機関と協力して最新の技術を駆使し、がん治療に大きな可能性を開く知見を確立しました。本稿では佐々木准教授に最新の研究と今後の方向性に加えて、留学によって導かれたユニークな研究者人生を語っていただきました。

 

なぜがん細胞は、異常なまでに増殖するのか

──がん細胞には「鬼の目」があるそうですね。

佐々木 細胞にはDNAを包む核があります。この核の中にある小さな目のような形をしたものが核小体です。この核小体が悪性のがんでは「鬼の目」のように大きくなっているのを、1896年にイタリアの研究者が発見しました。

その後の研究により、核小体が大きくなるとリボソームが大量に作られてタンパク質合成が増進する結果、がん細胞が異常な速さで増殖することがわかっています。

──核小体ではいったい何が行われているのですか。

佐々木 タンパク質を合成するリボソームが作られています。リボソームは「タンパク質製造工場」のようなものです。がん細胞が増えるにはタンパク質、核酸、脂質が必要ですが、なかでも細胞の7割ぐらいを占めるタンパク質が重要なのです。

リボソームが多ければ多いほど、がんは増殖に必要なタンパク質を手に入れられる。だからがんは核小体を大きくしたり数を増やして、リボソームすなわちタンパク質工場の製造能力を高めるのです。通常は1つの細胞に1つの核小体しかないのですが、がん細胞によって7つまで核小体が増えたケースも見つかっています。

 

突き止められたがん細胞のエネルギー源

──なぜがんは勝手に、核小体を大きくしたり増やせたりするのでしょうか。

佐々木 がんは、人に本来備わっているシステムを巧妙に活用して増殖します。核小体ががんに利用されているのはわかっていましたが、大きくなるメカニズムは不明でした。

そこで我々は、細胞内のエネルギー状態の変化に注目したのです。細胞のエネルギー分子はATP(アデノシン3リン酸)が知られていますが、ほかにもいろいろなものがあります。今回、我々が発見したのは、がん細胞においてGTP(グアノシン3リン酸)が果たしている特異な役割です。

―GTPが核小体を大きくするのですか。

佐々木 タンパク質合成プロセスにおいてGTPは重要な役割を果たしています。我々は最新の代謝解析技術によって、悪性脳腫瘍ではGTPが著しく増えていることを明らかにし、さらに増えたGTPがリボソーム製造に使われていることを突き止めました。

リボソームはタンパク質製造工場ですから、言ってみればGTPは工場の部品として使われるのです。さらにGTPは、工場での生産能力を高めるよう工場に指令を出す役割も果たしていました。

※イメージング質量分析により、神経膠芽腫(神経膠細胞から発生する腫瘍の中でも最も悪性のもの)を含むマウス脳切片では、ブドウ糖からのGTPエネルギー産生が著しく増加していることが示された

──つまりGTPはリボソームの部品であり、かつリボソームへの指令者でもある?

佐々木 リボソームはRNAタンパクでできています。従ってリボソームを増やすためには、RNAタンパクが必要となるわけです。では、RNAタンパクはどうやって作られるのか。そのカギを握るのがRNAポリメラーゼ1と呼ばれる転写酵素です。このRNAポリメラーゼ1の機能をGTPは高めるのです。

少しややこしいですが、GTPがRNAポリメラーゼ1を活性化し、その結果としてRNAタンパクが多く作られるようになり、最終的にリボソームが増える仕組みになっています。

──要するにGTPはスイッチのような役割を果たしているわけですね。

佐々木 そのとおりで、GTP濃度が一定量より低くなるとRNAポリメラーゼ1の活性化が止まり、逆に一定量を超えると活性化します。

GTP濃度がRNAポリメラーゼ1の活性化に何らかの役割を果たしていることは、1976年にドイツの研究者Ingrid Grummt教授が明らかにしていました。Ingrid教授はGerman Cancer Research Centerに所属する、リボソーム研究の第一人者です。研究に必要な材料提供を私が彼女に依頼したことから交流が始まり、そこから本格的な共同研究へと自然に発展していきました。

──そのGTPも何かのきっかけによって増えるのですね。

佐々木 今回の研究で明らかになったのが、GTP産生の増加が引き起こされるメカニズムです。がん細胞においてイノシン酸脱水素酵素(IMPDH)が増えることが、引き金となっていました。

広島大学の安井教授をはじめとする日米で5つの大学グループとの共同研究を行い、マウスやヒトの脳腫瘍組織の多層的解析により、この事実を突き止めました。従ってIMPDHを薬で阻害すると、核小体が小さくなり神経膠芽腫(グリオブラストーマ)の増殖が抑制される事実も明らかになりました。

グリオブラストーマを移植したマウスのIMPDHを抑制すると、実際に腫瘍の進行が遅くなり、明らかに延命効果があったのです。研究をさらに進めれば、新たながん治療法の開発につながる可能性があります。

※神経膠芽腫をマウスへ移植したのち、IMPDH阻害剤として、臓器移植患者へ用いられているミコフェノール酸モフェチルを投与すると、神経膠芽腫の発達が顕著に抑えられた

 

21もの研究機関が協力した理由

──今回の成果は日米英独で21もの研究機関が協力した結果だと伺いました。これだけ協力者が多い研究というのは、あまり聞いたことがないのですが。

佐々木 今回の研究の大きな特徴だと思います。各専門分野の研究者の協力があったからこそ、複雑なメカニズムの全貌を解明できたのです。そもそもスタートはグリオブラストーマの研究であり、脳腫瘍のさまざまなサンプルを集めるところから始まっています。マウスを使った実験により、GTPが作られる様子を最新の解析技術を駆使してモニターしました。

そこからGTP産生に関わる分子メカニズムの解析まで深堀りしたわけですが、専門性をもつ研究機関とのコラボレーションがなければ、今回の成果は決して得られなかったと思います。たとえば脳腫瘍の患者さんにおけるGTPの変化を調べるために、ロスアンゼルスUCLAと共同研究を行っています。他にもケンタッキー大学やアラバマ大学も患者さんの検体を持っているので協力を求めました。

──イギリスの研究機関が果たした役割は何だったのでしょう。

佐々木 イギリスにはDimitrios Anastasiouという非常に聡明な研究者がいます。彼はハーバード大学で私がポスドクをしていたときの仲間で、当時からGTP研究の進め方などを議論していたのです。今回の研究でも最初から相談に乗ってもらい、さまざまなアイデアを出してくれました。

論文の共著者として名前を入れたのは60人弱ですが、なかには協力はするけれども名前は入れなくていいという研究者もいました。その人たちを含めて、全員の成果がこの論文(※)に凝縮されていると思います。
『IMP dehydrogenase-2 drives aberrant nucleolar activity and promotes tumorigenesis in glioblastoma』

──協力機関がこれほど多いとまとめるだけでも大変な作業量になるのではありませんか。

佐々木 何より大切にしたのが、研究の全プロセスをシェアすることです。途中段階も含めてすべて公開し、アドバイスやコメントをもらうよう心がけました。もちろん、その結果として山のようなフィードバックが寄せられるので、それらを交通整理しながら一つひとつ対応するのは手間のかかる作業です。けれども、そうした作業を通じて、全員が前向きに協力してくれている一体感を強烈に感じました。

──筆頭著者の広島大学・小藤智史先生とは、日米間でやり取りされたのですか。

佐々木 小藤先生は当初アメリカで一緒に研究していたのですが、広島大学にポストを得たので、論文を投稿した段階で帰国されたのです。『Nature Cell Biology』のような学術誌の場合、投稿してからが勝負でアクセプトされるまでに長い時間がかかります。この間、小藤先生と毎週のように3時間から4時間程度、ネット会議を1年ほど続けました。日本とアメリカと離れた場所にいながら、共同で研究をまとめていくのはなかなかチャレンジングな体験でした。

ただ、お互いに強い信頼関係があり、その上で無料のビデオ通話システムやSNSなど情報通信技術を駆使すれば、場所の制約を超えて共にサイエンスを追究していける。この知見も、今回のチャレンジから得られた成果です。

※佐々木ラボで研究に励んでいた頃の小藤智史 現・広島大学大学院医系科学研究科創薬標的分子化学研究室 助教

 

研究所を転々とした異色のキャリア

──先生の経歴を拝見すると、学部、修士、博士でそれぞれ所属が変わっています。

佐々木 東京理科大学に入学したものの、最初は実に不真面目な学生でした。毎日欠かさず大学には通っていましたが、それは大学食堂でアルバイトをするためであり、授業にはほとんど出ていません。私が研究者になったと聞いて、当時の指導教官がびっくりしていたそうです。

ただ、4回生ぐらいから何となく研究が面白くなり、広島大学大学院の植物の研究室に進みました。ここで分子学や遺伝子改変などの基礎を教わっている内に、それまでに学んだ内容が少しずつつながってきたのです。そこで研究の魅力に目覚めて、博士課程まで行きたいと考えるようになりました。

──そして久留米大学に移られたのですか。

佐々木 研究室の知人が、ちょうど久留米大学で新しく研究室を立ち上げられた吉村昭彦先生(現・慶應大学教授)が書かれた研究員募集資料を見せてくれたのです。そこに記されていたのは、実に挑戦的な内容でした。「ここには頭の固い教授はいない。研究以外の雑用も一切やる必要がなく、世界最先端の研究に打ち込める。この案内を見て、うちの研究室に来たいと思わないような研究員がこの世にいるだろうか」。

これを見てすぐにメールを送り、面接の結果受け入れていただきました。ここでは猛烈なインプットの日々を過ごしました。毎朝9時から論文の輪読会があり、土曜日は免疫学や遺伝子工学などの勉強会、そして日曜日は思う存分実験に打ち込みました。そうやって世界のトップを走ってきた吉村先生からは、仮説の立て方や証明のための徹底した考え方と検証手法、手を動かす大切さなどを学びました。これで研究者としてやっていける自信がついたのです。そして先生と一緒に九州大学の生体医学研究所に移りました。

──そこで留学を決意されたのですね。

佐々木 研究所の外の階段の踊り場で、ひと休みして夕日をぼんやり眺めていたときに「留学するんだ」という声が聞こえました。それで頭の中にあったもやもやがすっと晴れていき「やるぞ!」と決めたのです。先輩から留学先の話を聞かせてもらい、なんとなく憧れのような気持ちを抱いていたのは事実でしたが、最後に背中を押してくれたのは夕日だったのかもしれません。

 

アメリカでPIになる、その秘訣は

──最初はカリフォルニアに行き、そこからハーバードに移っています。

佐々木 2002年にアメリカでの独立を目標に、家族4人でカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)に留学しました。ここで海外ポスドク生活を始めたのですが、初めはとにかく成果を出さなければと必死で、周りとのコミュニケーションを考える余裕もありませんでした。実際、UCSDにいたときは、ひたすら1人で研究だけをガリガリやっていたので、他の研究員からはずいぶんとんがったやつだと思われていたようです。

ただ、おかげで一定の成果を出せて、3年後にハーバード大学に移れたのです。ここでさらに7年間のポスドク研究を続けて、2012年にようやく当初の目標だった独立ラボをシンシナティ大学で構えることができました。

※佐々木ラボには、常時世界各地からの研究員が滞在して研究に励んでいる

──ポスドク時代は相当に苦労されたのではないでしょうか。

佐々木 正直に告白すると、苦労したとはまったく思っていません。研究者にとって何より楽しいのが研究ですから、ひたすら研究に打ち込める日々は楽しくて仕方がない。自分で手を動かして仮説を証明して成果を出す。論文を出せたらジョブハントに行き、当然一度ではダメですから、失敗を糧にしながらがんばっているとオファーが来たのです。

アメリカでPIになるのにスーパースター的な存在である必要はありません。ただ私の場合は、UCSDとハーバードと2人のメンターがいてくれたことが、研究分野に加えて視野を広げる上でも大きなプラスになったのは間違いないと思います。

──先生はUJA(United Japanese Researchers Around the World)という組織を立ち上げられていますね。

佐々木 UJAは、世界に拡がる日本人研究者の一人ひとりがつながり、互いを高め合うためのプラットフォームです。ハーバードに移ってから現地にいる日本人研究者たちと知り合って意気投合し、サイエンス好きな仲間の集い『いざよいの夕べ勉強会』を始めました。

この勉強会では、さまざまなテーマに基づいてディスカッションを繰り返したほか、米国で独立するために大切なこと、インタビューに呼ばれるコツやオファーの勝ち取り方などを学びました。その後『いざよい』以外にも世界各地に日本人コミュニティーがあることを知り、世界規模で日本人研究者をつなげて日本の科学の発展を目指すため、仲間と一緒にUJAを立ち上げたのです。

──先生の経歴を見ると学部時代から数えると研究室を6つ経験されています。

佐々木 ものの見方を広げてくれたという意味で、研究室を渡り歩いた経験はまちがいなく役立っていると思います。おかげでいろいろなラボの違いを理解できるようになり、良いところを吸収して悪いところはやらないようになりました。アメリカでは、学位をとったラボではポスドクをしないのが不文律となっています。イギリスなどでもPh.D.を取ったら、とにかく外国に行けと言われるようです。研究者としてやっていくには、出身ラボ以外のものの見方や多様性を受け入れる姿勢が欠かせないからでしょう。

──日本の大学とは考え方が違いますね。

佐々木 研究者としてやっていくなら、免許ともいえるPh.D.は取る必要がありますが、良いメンターを選んで学ぶことも大切です。そのためにも、可能な限り人と出会う機会をつくり、目の前の人を大切にするよう心がけてください。

 

研究ほどエキサイティングでクリエイティブな仕事はない

──先生にとって研究とはどのような仕事なのでしょうか。

佐々木 妙な例えかもしれませんが、シンガーソングライターのようなものと思っています。自分で歌を作って自分で歌い、プロモーションまで自分でやる。

ある意味マルチタレントが必要とされる仕事で、逆にいえばいろいろな役割を演じられるエキサイティングな仕事です。何もないところから曲を作るクリエイティビティも要求されます。そしてがんばっていれば、ヒットを飛ばすこともできるのです。

──とはいえヒット曲が生まれる確率はかなり低いのでは。

佐々木 研究は100に1つ当たれば良いとよく言われますね。けれども、実際には100分の5ぐらいまでは高められると思っています。論文を投稿すると、レビューで徹底的に叩かれます。

最初はそれこそ人間性まで全否定されるような気持ちになりますが、それも慣れです。しかもそのプロセスを乗り越えた先には、言葉に尽くせないほど強烈な喜びが待っている。

喜怒哀楽を仲間と一緒に思う存分に楽しめる研究とは、終わりなき旅のようなものです。一つのゴールに到達すれば、必ず次の目標が見えてくる。その目標に向かって、また仲間とともに進んでいける。その道中は常にエキサイティングでありクリエイティブ、いつもワクワクしていられるのです。これほど素敵な職業につけた私は、ほんと幸せものだと思っています。

 

米国オハイオ州立シンシナティ大学 准教授

佐々木 敦朗(ささき あつお)

1995年、東京理科大学卒業、97年、広島大学大学院修士課程修了、2001年、久留米大学大学院博士課程、Ph.D. 2002年、日本学術振興会(JSPS)特別研究員としてカリフォルニア大学サンディエゴ校のRichard Firtel博士の研究室に留学、05年、JSPS海外特別研究員としてハーバード大学のLewis Cantley博士の研究室へ異動、2012年より現職。広島大学大学院医系科学研究科 客員教授、慶應義塾大学・先端生命科学研究所 特任教授を兼任。

(本記事は「リケラボ」掲載分を編集し転載したものです。オリジナル記事はこちら

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