研究者としてのキャリア、その到達点の一つが大学教授。その上を究めるなら学部長、さらには学長へと連なります。幼いころにアニメ『鉄腕アトム』を見て、アトムではなく、ロボットを作る「博士」のようになりたい。そんな思いに導かれて学びの道を突き進み、量子流体力学において日本を代表する研究者となった大阪市立大学理学部坪田誠教授

今では学部長も務める坪田教授に、研究者のキャリアパスについてうかがいました。

 

「乱流」がつないだ大学と映画のコラボ

──2018年の5月頃、大阪の地下鉄の駅のあちらこちらで「その謎は大阪市立大が解き明かす」と書かれた映画ポスターを見かけました。

坪田 タレントの櫻井翔さんや広瀬すずさんらが出演したSFサスペンス『ラプラスの魔女』のポスターですね。ちょうど映画が公開される前、2018年の3月末に私が発表したプレスリリースを大学の広報担当が見ていたのが、このポスターがつくられたキッカケです。

──ちょっと経緯がよくわからないのですが……。

坪田 私が出したプレスリリース「レオナルド・ダ・ヴィンチの推測が検証された~量子乱流のユニークな構造を発見」は、乱流についての研究成果です。一方『ラプラスの魔女』で描かれたストーリーにも乱流が深く関わっています。つまり「乱流」をキーワードに両者はつながる。しかも、たまたま映画の公開に先立って、大阪市から映画を後援できないかと本学に話が来ていたのです。

そこで本学の広報担当が私の発見と映画の謎解きを結びつけて、「その謎は大阪市立大が解き明かす」をキャッチコピーとするポスターがつくられた、というわけです。

──なるほど。ところで、そもそも「乱流」とは一体何でしょうか。

坪田 自然界には、さまざまな気体や液体の流れがありますが、その多くは流れが複雑に乱れた「乱流」です。自動車や飛行機の空気抵抗などには乱流が大きく影響するため、乱流の予測と制御は幅広い学問分野で研究されてきました。ところが「乱れた流れ」という名前が表すように、乱流は非常に複雑な現象で、これを解明するのは容易なことではありません。

──その乱流とレオナルド・ダ・ヴィンチに関係がある?

坪田 ダ・ヴィンチは科学的なスケッチを多数残していますが、その一つに乱流を描いたものがあります。肉眼だけで乱流とそれを構成する渦を見抜いたわけで、その観察力は驚異的というしかない。我々の研究はその乱流をテーマに、絶対零度に近い極低温の量子流体では渦が明確な形で存在していることと、その渦が乱流を形成していることを大規模な数値計算により証明したのです。

ダ・ヴィンチが描き残した乱流のスケッチ

──今回の研究成果は、今後どのような展開につながるのでしょうか。

坪田 目に見える、あるいは社会に直接役立つレベルに到達するまでには、まだ時間はかかると思いますが、将来的には自然科学の最終問題の一つといわれる乱流の解明につながり、乱流の動きの予測が容易になる可能性を秘めています。

式が「生きている」!

──低温物理、超流動などの分野において、日本を代表する坪田教授が研究者を目指すようになったキッカケは何だったのでしょう。

坪田 幼稚園児のころ『鉄腕アトム』や『エイトマン』などをテレビで見ていました。主人公はアトムやエイトマンですが、彼らを創りだした科学者を、私はすごいと思ったのです。科学者つまり博士です。だから、大きくなったら博士になりたいと思っていました。

──とはいえ、そのままでずっと大きくなったわけではないですよね?

坪田 高校時代の友だちが講談社ブルーバックスを読んでいて、アインシュタインの相対性理論について書かれた一冊(『相対性理論の世界 はじめて学ぶ人のために』)を紹介してくれました。それを読んで、とても興味を惹かれたのです。

たとえば、速度vが上がると質量m’が増えることを表した次のような公式があります。

cは光速であり、vが大きくなると分母が小さくなるから、結果的にm’が大きくなる。この理屈がわかったとき「式が生きている」と感じたのです。このときに、こういう勉強をずっとやっていけたら面白いだろうと思いました。

だから大学に進む時点で、なれるかどうかは不明ながら、研究者になりたいという意思だけははっきりと持っていました。

高校時代に関心を持った式を解説する坪田教授

──京都大学理学部に進んで、物理を専攻されたのですね。

坪田 やりたかったのは数学か物理。ところが大学1回生のときに受けた数学の講義が、とんでもなくハイレベルでした。
理学部の超大物教授が線形代数を教えてくれるのはよいのだけれど、1回生の内容は夏休み前におわり、秋からは3回生レベルの内容にすっ飛んでいく。クラスの大半が落ちこぼれる中で、しっかりついていく学生が数人いました。教授は意図的にふるいにかけているわけで、数学の道に進めるのは自分ではないと悟り、物性物理を選んだのです。

オーバードクターがあふれる時代の選択肢

──そして修士から博士課程に進まれた。

坪田 三つ子の魂ですね。ただし、学位をとって博士にはなれたとしても、将来の保証などは何もない時代でした。

今なら一応、給料をもらえるポスドクがありますが、当時はポスドクなどほとんどありません。大学院を出るとオーバードクターすなわち無給の研究員となり、生活は予備校講師のバイトなどでしのぐことになります。先輩が研究員として残っていれば、大学での就職はさらに大変です。

──とはいえ学位をとって半年後ぐらいに高知大学に採用されています。

坪田 これはもう幸運というしかありません。研究室の先輩が高知工業高等専門学校にいて、そのすぐ横に高知大学農学部がありました。その農業工学科で助手を探しているという話がたまたま伝わってきたのです。

あまり知られていませんが、農学部の学問領域はかなり広く、助手を探している教授は、物理系のテーマを研究したかったそうです。そこで低温物理の研究をやっていた私に、声がかかりました。

──オーバードクター多難の時代にしては、運がよかった?

坪田 だと思います。私を呼んでくれた先生は、農学部ながら工学博士で、学位を東北大学で取られていました。専門は磁性流体で、その研究を一緒にやることになったのです。先生を指導された東北大の教授と3人で流体の研究に取り組み、いくつか論文を出しました。

なかなか順調に研究人生をスタートできたと思っていた矢先、大学改組の話が出て農学にあまり関係のない農業工学科はなくなることになりました。そこで転職先を探す羽目になったのです。

人物評価がカギとなり、東北大学へ

──転職先を探すと言っても、簡単なことではないでしょう。

坪田 結果的にはまたもや運が良かったという話になるのですが、高知大の先生と共同研究をしていた先生が、東北大学流体科学研究所の所長でした。ここは工学の研究所でしたが、ちょうどそのころ物理系の人間を探していたのです。

──とはいえ国立大学の附置研のスタッフ募集だから公募ですね。

坪田 もちろん公募です。だから私は何人かの応募者の中から選ばれました。

──公募での採用は、実力だけで決まるのでしょうか。

坪田 大前提として求められるレベルの力を備えていない限り、採用されることは絶対にありません。

では、実力が均衡した候補者が複数いる場合に、何が採用基準となるのか。最終的には人間性が見られます。

そこで私が幸運だったのは、研究所長と高知大時代に共同研究を行っていたことです。研究所長は、私の人間性をある程度理解しています。このことが採用になった要因の一つといえるでしょう。

とにかく研究業績を出すこと、さもなくば……。

──29歳で東北大学の助教授になられています。

坪田 期待されている重みをひしひしと感じました。配属されたのは極低温流研究部門で、完全に低温物理の世界です。東北大というのは研究第一主義で、成果を厳しく求められる。最初に所長から「研究業績が芳しくないようなら、進退を考えてもらうから」と釘を差されました。

──研究は順調に進んだのでしょうか。

坪田 幸運なことに、東北大には当時の世界最高性能のスーパーコンピュータ、クレイYMP8が入っていました。これを流体の計算に自由に使えたのです。そこで取り組んだのが量子渦の計算です。プログラムをゼロから自分で作ったので、計算結果が出るまで2年かかりましたが、おかげで良い論文を書くことができました。

量子渦がつくる量子乱流

──まさに順風満帆の研究者人生ですね。

坪田 ところが一つ、私にとって難題が立ち上がりました。工学部所属の研究所なので実験もやらなければならないといわれたのです。

私は大学院時代から理論数値計算ひと筋だったので、実験などやったことがありません。そこで古巣の京大の低温物理の先生に相談したら、極低温での超流動ヘリウムの実験をやってみたらどうかと勧められました。これにヒントを得て液体窒素を極低温にして、その中で泡を作る実験に取り組みました。その結果、周りの人に助けられて論文を出すことができました。

坪田君をいただきたい

──東北大で順調に成果を出していたにもかかわらず、大阪市立大学に移られていますね。

坪田 流体科学研究所では非常に良くしてもらい、論文も相次いで出していました。ただ、心のどこかで工学と理学の文化の違いを感じていたのです。

それともう一点、私は関西出身なので、いずれ関西に戻れればいいなあという漠然とした思いもありました。そんなタイミングで大阪市立大学から声がかかったのです。

──公募があったのですか。

坪田 このときは公募ではなく一本釣りです。私は大学院時代から物理学会の中の低温物理コミュニティにずっと参加していて、学会や研究会などで全国の研究者と付き合っていました。それこそ発表の後には、車座になって酒を酌み交わすような関係です。こうした場が、実は人となりを知ってもらうためには大切なのです。

そこで知り合った研究者の中に、大阪市大の理学部長で超低温物理研究室の教授がいました。大阪市大は低温物理の中心地ながら、当時は理論家がいなくて困っていたため、私に声がけしてくれたのです。

イギリス・ランカスター大学で行われた学会での発表風景

──関西で理学部となれば、渡りに船という話ですね。

坪田 とはいえ、それまでお世話になってきた東北大に対する恩義があります。悩みに悩んだ末、大阪市大から誘われていると流体研の所長に打ち明けたところ、私の転出には難色を示されました。

──それだけ将来を嘱望されていたわけですね。

坪田 本当にありがたい話です。それを大阪市大の先生に伝えると「すぐ仙台に行くから」と駆けつけてこられました。そして流体研に私と一緒に出向いて「坪田君をいただきたい」と所長に深々と頭を下げられたのです。

人生意気に感ずというのは、こういうことを言うのだと身をもって感じました。流体研の所長も「そこまで言うのなら」と折れてくれました。

教授になるための十分条件

──そして大阪市大で教授に?

坪田 呼んではもらいましたが、身分は助教授です。だから東北大の同僚の先生方も私の移動には難色を示しました。同じ助教授なら、なぜ東北大を出るのかと。

一方で大阪市大としても、引っ張ったからといって無条件に教授にしてくれるわけがないことは理解していました。なぜなら、私が教授にふさわしい人物かどうかを見極める必要があるからです。

──研究業績を十分に出していたにもかかわらず、ですか。

坪田 研究ができるのは教授になる必要条件にすぎません。

教授というのは研究室を背負って立つ存在であり、強力なリーダーシップが求められます。さらに大学院生を指導していけるだけの度量も欠かせません。将来の研究者、大学教授を育てるだけの力を持っているかどうか。これらの条件をクリアしてはじめて、教授として認められるのです。

──研究者とは、どのような仕事なのでしょうか。

坪田 研究が好きな人にとって研究職は、好きなこと、やりたいことで飯を食っていける理想の職種といえるでしょう。

ただし、好きなことをやれているからという自己満足に終わってはいけない。研究成果を世の中に発信することが必要です。人類の知的レベルの最先端に何か新たな知見を加え、次世代に伝えることが研究者の社会的責任です。

──研究とは、次世代のためでもあると。

坪田 人類の知的財産に新しい1ページを付け加える仕事は、次に続く人たちに夢を与える仕事でもあるわけです。その覚悟を研究者には求めたい。

そして研究者とはいえ、研究室に閉じこもるのではなく、人との付き合いを大切にしてほしい。改めて自分の人生を振り返ってみて思うのは、ありきたりですが人とのつながりの大切さです。たとえ研究者といえども、採用する側は機械を採るのではなく人間を採るのです。だから、必ず最後は、その「人となり」が判断されることになります。その点を意識して、自分なりの研究者人生を歩んでください。


大阪市立大学理学部長
大阪市立大学大学院理学研究科教授
坪田誠(つぼた まこと)

1987年、京都大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士(京都大学)、同年高知大学農学部助手。1990年、東北大学流体科学研究所助教授、1997年、大阪市立大学理学部助教授、2004年より同教授、2018年、理学部長に就任。2006年、第24回大阪科学賞受賞。著書に『量子渦のダイナミクス』(共著)、『量子流体力学』(共著)。


 

(本記事は「リケラボ」掲載分を編集し転載したものです。オリジナル記事はこちら

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