この記事は『バイオ技術者・研究者になるには』(堀川晃菜 著 ぺりかん社)からの転載です。

基礎研究に専念した学生時代

佐久間めぐみさんは、北海道出身。高校生のころに理系の道を選び、大学は北海道大学の薬学部に進学しました。

「高校生の時には、理学部や農学部よりも職業をイメージしやすく、当時は4年間で薬剤師の資格が取得できたので、将来の選択肢が広がると思って、薬学部を選びました」と話します。

佐久間さんは、大学4年生で神経科学研究室に所属してから、博士課程を修了するまでの6年間、一貫してアルツハイマー病の発症メカニズムを解明する研究に取り組みました。

「学部のころは、研究ってこんな感じなのか、とわかり始めたばかりだったので、迷わず修士課程に進みました。

修士で就職活動をする時期は、ちょうど海外の学会に参加する機会が巡ってきて、研究がおもしろくなってきたころでした。博士卒での就職に不安がないわけではありませんでしたが、研究を中途半端に投げ出したくないという思いが勝りました。

指導教官のバックアップも心強かったです」

アルツハイマー病の研究は世界中の研究者が長年にわたり取り組んでいる課題ですが、それでも完全に病気を解明して、根治するまでの道のりは遠く感じたと佐久間さんは話します。

それは、とことん基礎研究にのめり込んだからこそ、辿り着いた境地でもありました。

「自分が生きているあいだにアウトプットが見える研究を仕事にしたい」

そんな思いから、佐久間さんは開発サイクルの速い化粧品業界を志望しました。

化粧品の安全性を評価する

佐久間さんは、化粧品の研究開発のなかでも安全性の研究にたずさわっています。化粧品に含まれる化学物質や植物エキスなど一つひとつの原料について、皮膚や目に刺激を与えないか、アレルギー症状を引き起こさないかなど、人体に悪影響がないことを確認する必要があります。

「まず原料そのものの安全性を確かめます。新しい原料の場合は特に慎重に、どのような製品に、どれくらいまで配合できるかを検討します。原料の製造方法や不純物の割合など、原料メーカーの品質管理の基準も含めて細かくチェックします。

場合によっては、安全な範囲に収まるように数値を算出して交渉することもあります」

単独では問題のない原料でも、組み合わせによって問題が生じる場合もあります。そこで、つぎのステージでは原料を組み合わせて製品としての安全性を確認します。

安全性試験は、まず細胞レベルで行います。

最近はヒトの皮膚構造に近い「三次元培養皮膚モデル」に原料や製剤を投与して評価することも行われています。
三次元培養は、生体内の環境に近い状態で細胞を培養する方法で、動物実験の代替法として、化粧品だけでなく、薬の毒性評価やスクリーニングなどにも用いられています。

細胞レベルでの評価をクリアしたものは、最終的に人で試験(臨床試験)が行われます。

皮膚に貼付(ちょうふ)するパッチテストでは、皮膚炎などのトラブルが起こらないことを確認しますが「体質には個人差もあり、体調にも左右されるので見極めは難しいです」と佐久間さん。

人での試験は「問題ないことを確認するための試験」であり、あえて肌トラブルを起こすような高濃度で実験することはできないため、“100%安全”と言い切るために線引きすることはきわめて難しいのです。

また、安全性を確かめるのは成分だけではありません。たとえばアイシャドーを塗るチップなどの小道具が安全な形状かどうか、誤った使い方をして怪我をする恐れがないか、といった使用試験も行われます。

ここでリスクを洗い出し、対策しておくことが、トラブルを未然に防ぐ上で重要です。

「形状などの変更で解決できればよいのですが、どうしても製品特性上必要な場合には、お客様相談室にあらかじめリスクを伝え、適切な対応を依頼しておく必要があります」と佐久間さんは話します。

また、発売後もトラブルが報告された場合は、情報を集積して、どういった使い方をした時や、どういった成分が含まれる場合に問題が起こりやすいのかを解析します。

ここで得られた知見を今後の製品づくりに活かしていくことも重要なのです。

無菌状態を保つクリーンベンチ内での作業のようす

企業の垣根を越えて

2013年、欧州連合(EU)では化粧品の開発で動物実験を行うことを完全に禁止しました。動物愛護の動きは世界中に広がり、日本企業もつぎつぎと動物実験の廃止を宣言しています。これにより、細胞レベルと人での臨床試験のあいだのギャップを埋めることが新たな課題となっています。

「人での臨床試験に進めるかどうかは細胞試験の結果から類推するしかありません。どうすれば、細胞を使った実験で適切に安全性を評価できるのか、新たな評価系を確立する段階から、化粧品業界全体として取り組み、競合他社とも共同研究を行っています。化粧品のレベルを下げずに、安全を保証するということは共通の重要な命題なので、日本の化粧品メーカー各社が協力して取り組んでいます」

通常、企業の研究開発は、独自に行われることが多く、研究成果を論文化したり、特許を取得することで研究資産としての価値を生み出します。

しかし安全性の研究に限っては「独自で開発することにはそれほど意味がなく、誰もが同じように評価できる試験方法をつくり上げていくことが重要です」と佐久間さんは話します。
安全性評価方法に関する特許は、オープンに使えるようにしている場合が多いと言います。

「社外の研究員と話す機会も多くあり、とても刺激になっています。動物を用いない安全性評価は世界的な課題であり、国際学会で海外企業の人とディスカッションをすることもあります。

こうした経験を通じて、自社だけでなく業界として、日本の化粧品のレベルを維持し、さらに高めていきたいと考えるようになりました。信頼を失うのは簡単でも、維持するのは大変です」

製品開発の経験が役に立つ

佐久間さんは入社後の初回配属で2年間、安全性の研究部署に所属した後、製品開発を3年間経験し、再び安全性の研究部署へと戻ってきました。

化粧品の容器や外箱には、その商品に含まれる成分が表示されています。成分の種類や配合割合を「処方」といいます。佐久間さんは製品開発の部署で、スキンケア製品や、シャンプーやボディーソープ、日やけ止めなどの処方を担当しました。

「自分が処方開発した製品が店頭に並んでいると、思わず陳列を整えたりしてしまいました」とふり返ります。

製品開発の業務は、本社や工場など他部署との調整を行う窓口としての役割も大きく、いろいろなことに目を配る必要があります。ここでの経験が、今の仕事にも活かされていると佐久間さんは話します。

「初回配属の時は、教わったことを忠実にやることで精一杯で、書面上で処方を見ることはあっても、どんな原料を使っているのか想像が及ばない部分もありました。

製品開発を経験したことで、なぜその原料を配合する必要があるのか、より理解できるようになりました。また、どんな人がその製品を手に取るのか、売り場や使用場面も自然に考えるようになりました。以前よりも多くの視点から製品を見ることができるようになったと思います」

日ごろの観察が大切

化粧品の開発は、1年前後の比較的短いスパンで行われています。製品の種類によっても開発期間は異なり、常に複数の製品開発が並行して行われるため、研究開発の現場は常に慌ただしく動いています。

「ドタバタしていた時に、実験でいつもと違うな、と感じたことを気のせいとすませてしまい、後々やっぱりまずかったという失敗もありました。

些細なことでも違和感があれば立ち止まる勇気も必要だと学びました。たとえば、細胞のようすも通常の状態をよく見ておかないと、異変に気付けないので、日ごろからの観察が大切です」

また、大学受験に必要だった基礎科目や、薬学部で学んだ薬物動態学などの専門知識も現在の仕事に役立っていると話します。今でも大学時代に使っていた教科書を開くことがあるそうです。

一方で、化粧品の安全性にかかわる分野に毒性学というものがあり、たとえば「トキシコロジスト」のような資格を取得する人もいます。こうした資格をめざすのは仕事を始めてからでも十分で、入社してからがスタートラインだと佐久間さんは話します。

「化粧品にかかわる研究は、生物だけでなく、化学や物理など幅広い知識が必要になるので、どの分野の勉強もむだになることはありません。化粧品業界の受け皿は広いので、学生の時は興味のある分野にのめり込むとよいと思います」

※この記事が掲載されている『バイオ技術者・研究者になるには』では、ほかにも食品、種苗、製薬など様々な企業で活躍するバイオ系の研究技術職の人たちが登場します。

『バイオ技術者・研究者になるには』堀川晃菜 著 ぺりかん社
ビール、醤油、野菜の育種に創薬、化粧品や歯磨きまで。さまざまな企業分野で活躍するバイオ技術者・研究者。人々の生活と直結するライフサイエンスの現場を紹介しながら、学びかたや就職の実際も解説します。